日本酒とワインの飲み方の違い

日本びいきで食通のフランスの友人、J・M・ブイスーが「なぜ、日本人はあんなにヘベレケになるまでお酒を飲むのか」と聞いてくるたびに答えに窮していたが、日本とフランスを三二年間往来して「酒」の飲み方が根本的に違うという答えを見い出した。日本では『黒田節』で代表されるように「酒は酒自身を楽しんで飲む」、もしくは『酒と涙と男と女』が語るように「憂さを晴らすために酔うまで飲む」が、フランスでは、「ワインは食べ物を美味しくするために飲む」ものなのだ。それ故、日本では酒は男の飲み物だっ
たが、フランスでは性は問われず、男性・女性共に楽しむものだ。
日本では、「酒を飲む」時は、日本酒が主役で料理は脇役だ。だが、フランスでは、料理が主役でワインはあくまでも脇役である。「魚料理は白、肉料理やチーズは赤」というが、この料理とワインの組み合わせが、双方の味をより引き立たせると考えられている。確かに、そう思う。白ワインは良く冷やすとそれだけでも美味しいが、赤ワインは二杯目、三杯目になると、渋すぎて、何か食べ物が必要になる。
この考え方は、庶民の食卓から、三ツ星レストランまで共通している。
必ずメインの料理にはワインがつく。といっても、歴史的な変化もある。第二次大戦前までは、中産階級以上は、日に一回は、前菜、魚、肉、チーズ、デザートとフル・コースで食事を楽しみ、料理に合わせて白ワイン、赤ワインとワインを変えて飲んだものだという。しかし、今は前菜、メインに魚か肉、デザートという簡素化された食事が基本で、ワインも食事を通じて一本だけが多い。たまたまメインに魚と肉を取る人がいた時は、ワインの選定には時間がかかる。女性のゲストの意見、もしくはお金を支払う人の意見が通る場合もよくある。食卓にも政治がある。したがって、フランスには、酒自身を楽しむ、「酔うために飲む」という習慣がほとんどない。泥酔して意識を失うまで飲むという観念がないのである。もちろん、「ほろ酔い気分」になって幸福感に浸ることはフランス人も大好きだが、限度を超えた
「酔う」感覚は、自意識を無くすこととして社会が禁忌している。
日本酒からフランスワインに「ハマった」酒好きの日本人の圧倒的多数が、良くする間違い(?)がある。
それは、ボルドーやブルゴーニュの品質も値段も高いワインを集め、その味を鑑賞して、シャトーやブドウの品種や年代を当てるのに快感をもつ、という姿勢である。プロのソムリエに伍して味がわかる、という気分であろう。田崎真也氏がソムリエ世界一になった悪影響(?)で、ソムリエとは、ワインの味の判断がつく専門家という単線的な判断が日本にはある。勿論ワインの専門家になるためには何千というワインを飲み分けないと話にならないが、基本は「この料理に合うワインは何か」であって、まず料理がわからないと、本当の意味でのソムリエにはなれない。
したがって、ワインを飲む時は、酒好きな日本人の心構えを革命的に変える必要がある。主役と脇役の逆転である。「酔うために」飲む、ワインだけを飲んで楽しむのではなく、「食べ物とワインを一緒に」楽しむという姿勢である。勿論、酒の飲み方は各自が勝手に飲めばいいのであって、とやかくいう筋合いのものではないが、「ワインの本来の美味しさを堪能したい」人には、この食べ物との関係の中でワインを味わうのが一番正統な方法だと思う。

(つぼいよしはる:パリ政治学院客員教授、パリ在住)

月刊 酒文化2004年08月号掲載