ビールの季節がやってきた!

 インドの首都デリーに、一番暑い季節、日中は軽く四〇度を越える夏がやって来ました。扇風機から顔にあたる風は、まるでドライヤーから噴き出す熱風のようです。暑さが一段落する夕方、就業後に飲みたくなるのは、キンキンに冷えたビール。
 インドのビールは、日本のビールと比べると、苦味が少なく、どこか間の抜けた感じがします。アルコール度数を上げるために、お砂糖を使われているのではないかと噂される程、甘みが強く、ピルスナーラガービールなどの苦いビールに舌がなれている日本人にとっては、飲みなれるのに少し時間がかかるようです。ただし、一度飲みなれてしまうと不思議なもので、あんなに美味しく思われる日本のビールの苦味が、この地では合わず、逆に日本でインドのビールを飲んでも、おいしくは感じられません。
 現地新聞によると、インドではこの所の好景気に牽引されて、昨年のビールの売り上げは、一昨年に比べて一五%もの大幅増。今年はさらに二〇%以上の成長が見込まれています。中流階級と呼ばれる人々に経済的なゆとりが出てきたのと、徐々にですが、ここインドの人々のお酒に対する意識が、寛容になりつつあるようです。
 そんなビールやお酒を楽しみ始めたインドの人たちの、悩みの種が、キンキンに冷えたビールを飲む機会が少ない事。電力が圧倒的に不足する夏、例え冷蔵庫でビールを冷やしていても、度重なる停電や、供給される電圧が不安定なため、なかなかビールをしっかり冷やす事が出来ません。日本では考えられませんが、グラスに氷を入れてビールを飲む人さえいます。生暖かいビールを選ぶか、氷で少し薄まった、冷えたビールを選ぶか、ある意味究極の選択です。
 お店でビールを頼むと、インドならではの不思議な儀式を体験することができます。儀式なんて書くと少しオーバーですが、なんと、ウェイターが、ビールを机まで運んでくると、まるでワインの銘柄をお客様に確かめていただくかのように、目の前にビール瓶を差し出し、インド訛りの強い英語で「テンパルチャル、テンパルチャル」と話しかけてくるのです。頼んだビールの銘柄を確認して欲しいのかと思えば、必ずしもラベルが見えるように瓶が差し出されているとは限りません。また、ウェイターが喋る英語は、英語であることも分からないくらい、訛っているので、何を言っているのかも分からず、せっかく目の前にビールが来ているのに、なかなか飲めずに困ってしまいます。
 実はこれ、ビールの冷え具合をお客様に確認してもらうための作業で、お客様は差し出された瓶に手を伸ばし、瓶が冷えているようであればOKを、冷えていないように感じれば違う瓶を持ってくるようにお願いするためのものです。ウェイターが話していた英語も、Rを強く、しかも巻き舌風に発音するので分かりずらかったのですが「温度(temperature)を確かめてください」ということだったのです。
 この作法が当たり前になってしまうと、日本のお店でビールが運ばれて来ても、ついつい手が瓶を触ろうとしてしまい、何度か苦笑いをするはめにあいます。どうやら、その土地で作られたビールをその土地の作法を使ってその土地で飲むのがビールを一番美味しく飲む秘訣のようです。
(いけだみえ:フォトグラファー・ライター、ニューデリー在住)

月刊 酒文化2007年06月号掲載