先祖に捧げる酒ンコンボティ

 先日、地元の知人から「クヴルワ・アマジェ」(告別式)に招かれました。日本の法事にあたる儀式ですが決まった日取りはなく、その家庭に経済的余裕ができたときに行われます。
 車に乗り込み向かったのは「ナイジェル」という田舎町。ヨハネスブルク市内の高層ビルや大邸宅が立ち並ぶ住宅街を抜けると、風景は一変して乾燥した荒地になります。
 2時間ほど車を走らせると、突如目の前にバラック小屋の密集する街が現われました。アパルトヘイト時に作られた「タウンシップ」(黒人居住区)です。一般的にタウンシップは「危険な場所」といわれ、外国人は容易に立ち寄らないように注意されます。土地勘のある知人に先導されながらとはいえ、少し緊張が走ります。
 人々の好奇の視線を感じながらデコボコ道を進み、一軒のバラック小屋にたどり着きました。招待してくれたのは今年65歳のクリスさん。ボイラー工事の作業員を退職し、今は年金暮らしです。家の玄関を入るとすぐに2畳ほどのキッチンが広がります。数名の女性たちが直径70cmはありそうな大きな容器を囲みながら、忙しく食事の支度をしています。居間では教会の信者たちが、式に備えて聖歌を練習しています。
 居間を抜け、奥の寝室に足を踏み入れた瞬間、思わず「うわっ」と声がでてしまいました。床にはばらばらに切断された牛の姿が。「この牛は大切な行事のときに振る舞われるご馳走で、一頭2,600ランド(約3万6000円)もするものだ」と誇らしげに説明するクリスさんの横で、息を止めてうなずくのが精一杯です。
 牛の枕元には大きなバケツと、紋様入りの「ウカンバ」と呼ばれる土製の壺が置かれており、中にはぶくぶくと泡の立つクリーム色の液体が入っています。この液体は「ンコンボティ」とよばれる自家製ビールで、先祖へのお供えものとして作られます。
 伝統的にはソルガムモルトを発芽、乾燥させた後、数ヶ月間熟成させ粉砕し、やはり粉砕したトウモロコシと混ぜ糖化発酵させるという手間のかかる作業が必要でした。しかし今は近所のスーパーで売られている粉を買い、水を加えてストーブで2日間発酵させ、さらに2日間冷ましてろ過すればできあがりです。
 部屋をでるといつの間にか家の敷地は40人ほどの客でいっぱいになっていました。庭では大きなバケツを口に運ぶ男性の姿が目に付きます。バケツの中身はンコンボティで、バケツで回し飲みしているのでした。
 クリスさんに「私も一口飲んでみたい」というと、「ンコンボティを飲みたいのか? 冷蔵庫にはおいしい瓶ビールもたくさんあるぞ」と驚いた顔。どうやら伝統的なビールよりも目新しい西洋ビールのほうが、お客さんへのおもてなしになるという感覚のようです。先祖へ捧げる神聖なお酒のはずが・・・・・・。複雑な気持ちで鼻にツンとくる酸っぱいンコンボティを飲み、空を見上げると苦笑する先祖たちの顔が思い浮かぶようでした。
(たかざきさわか:ヨハネスブルグ在住)■

月刊 酒文化2008年10月号掲載