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イスラエルの酒事情
イスラエルの酒事情  
 今年6月にイスラエルのテルアヴィヴで国際ワインコンテスト「Terravino2006 Mediterranean International Wine Challenge」があり、その審査員として招かれた。10日間の滞在の間に、躍進目覚しいイスラエルワインの現場を訪ねたが、農業先進国イスラエルならではの最先端の農業技術、近代的醸造設備を駆使して、国際レベルのワインが造られていた。しかし、同時に何千年も前からあるユダヤ教の戒律も厳格に守られ、他国では考えられないような複雑なワイン造りも行われていた。イスラエルにおけるワイン消費の歴史と独自のコシャー・ワイン(ユダヤ教の厳しい戒律を守って造られるワイン)の世界を報告させていただく。

生活のワインから儀式のワインへ
photo 現在イスラエルがあるカナンの地は、古代からワイン造りが盛んで、エジプトのファラオもこの地のワインを好んで取り寄せていたし、古代ローマ時代には帝国各地に多くのワインを輸出していたほどであった。当時のユダヤ民族もかなりワイン好きだったようで、成人男性1人当たりの年間ワイン消費量がなんと260リットルにも及んでいたとの研究もあり、毎日ほぼワイン1本を飲んでいた計算になる。また、ワインはユダヤ教においても重要な意味を持っていた。旧約聖書はワインへの言及に事欠かないし、ユダヤ教から派生したキリスト教でもワインはキリストの血を象徴するものとして重要な意味を持っている。イエスが水をワインに変えた奇跡のエピソードもあまりにも有名だ。
 これほど古代ユダヤ民族の生活に根付いていたワインであるが、7世紀にこの地がイスラム教徒に支配されるようになると、アルコール消費を禁ずるイスラム法のもとワイン造りは禁止される。しかし、儀式用ワインの生産だけはごく少量認められていたので、ワインは日常生活で楽しむというより、宗教儀式の中で飲むものになっていった。

イスラエル建国の頃
photo 19世紀に入ってオスマン・トルコがワイン生産を認め、ワイン造りが再開されたが、日常的にワインを消費する習慣はすぐに広がらず、生産されるワインも儀式用の非常に甘い赤ワインが中心であった。20世紀に入るとシオニズム運動が盛んになり、世界中に散らばっていたユダヤ人のイスラエルの地への入植が進む。特に第1次世界大戦後は、ユダヤ民族の国家建設への協力を約束するバルフォア宣言が出たこともあり、移民は急増し、ナチス・ドイツの迫害を逃れたユダヤ人も先祖の地を目指した。ワインを日常的に消費する習慣があったヨーロッパからの移民が増えるにともない、ワインの消費は徐々に増加したが、まだまだ少ないものであった。
 1948年にイスラエルは建国を宣言し、それに続く第1次中東戦争を勝ち抜いて独立を守るが、四面を敵対するアラブ諸国に囲まれた状況は厳しく、国の存続を必死に守っていかなければならない時代が続く。食に関しても生きていくための栄養を取れれば十分で、美食や高級ワインの消費は、モラルに反する贅沢な行動とする雰囲気が支配していた。建国の熱い志に燃え、キブツ(原始共産主義的共同村)で農業に励んでいた人たちには、まだワインは神に感謝を捧げる儀式で口にするものでしかなかった。当時の国民1人当たりのワイン消費量は4リットル前後とされているが、その多くは宗教儀式の中で消費されたワインであろう。
 しかし、1967年の第3次中東戦争(6日間戦争)の大勝利により、国の安全保障もより堅固たるものとなり、経済成長の時代が訪れる。豊かになったイスラエルでは、美味しいものを罪の意識なく楽しむ習慣が都市部から広がり始めた。そして、ワインも食事を豊かにし、人生に喜びを与えてくれるものとして、毎日の生活の中で楽しまれるようになっていった。外国赴任していたビジネスマンや海外に留学していた学生が、日常的にワインを飲む習慣に触れ、それを持ち込んだこともワイン文化の普及を推進した。

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