日本酒の「物語」を語れ

 僕が1988年に日本へ初めてやってきたとき、本屋で買うことができた日本酒の本はたったの一冊、『Sake: A Drinker,s Guide』だけだった。
 それから約八年後、僕が初めて書いた本『The Sake Handbook』が出版された。おすすめの居酒屋や銘柄の情報を載せ、漢字が読めない人のためにラベルの読み方も記した。こんな本を来日した当初に持っていたかった、と我ながら思っていたのを覚えている。
 そのすぐ後、イギリス人の蔵人として知られるフィリップ・ハーパー氏の『Sake, An Insidere,s Guide』が出た。この本は技術的な面を詳しく解説したものだ。
 そしてアメリカのフィラデルフィアにある出版社から依頼を受け僕が書いた『Sake Companion』、当時アメリカで酒蔵をやっていたフロスト氏と僕が共同で作った『Sake; Pure
&Simple』が出版された。
 この後しばらく新しい本が出ていなかったのだが、二年ほど前に有名な日本食レストラン「紅花」の経営者であるロッキー・青木氏が写真をふんだんに使った楽しみながら読める本を出版。加えて、アメリカで唯一の日本酒専門店「True sake」のオーナーであるボー・ティムケン氏ももうすぐ本を出版する予定だと言う。こう挙げてみると日本酒に関する英語の出版物の数は確実に増えていることがわかる。
 インターネットにも英語で書かれた日本酒に関するサイトはたくさんある。「www.sake.com」というドメインを持つのは玉乃光のサイトだ。ちなみに僕は「www.sake-world.com」をやっている。
 と、これまでにいろいろな本やサイトが登場し、各々がそれなりの工夫を凝らし特徴を持っているのだが、あくまでも日本酒に関することなのでやはり内容は似たり寄ったりという感じは否めない。
 そこでワイン界のことを考えてみた。ワインがどのように造られているのか、今年の出来はどうか、地方ごとの特徴は云々などと書かれた本は数え切れない程出版されている。だがワイン本にはまだ日本酒本がやっていない分野が存在するのだ。それはワイン造りにおけるロマンを表した本、つまりワインの「物語」を描いたものだ。アメリカで日本酒をさらに広めるには同じく「物語」が必要なんじゃないかと、僕は最近強く思うようになってきた。
 言い換えると、ワインから「物語」をとってしまったらそれはただの赤い液体になってしまうということ。何がワインに価値を与えているかというと、それは歴史であり、おそらく一般の人たちからは一風変わって見えるであろうワイン醸造に携わる人々、それにワイナリーごとに持っているこだわりなのだ。それらを記した本はワイン界に多く存在し時には映画の題材になったりもする。
 僕は日本酒も同じじゃないかと思っている。米の作り、地方ごとの文化の違い、杜氏さんや蔵人たちの暮らし、そのすべてが交じり合って日本酒をただの透明な液体以上のものにしているのだ。
 でもそういったことを捉えた本はまだ英語圏には存在しない。だから僕はこれが次のステップだと考えている。もっと日本酒の文化や歴史を、人々を、米を、「物語」を通して知ってもらう時期にきているのだ。それを伝えなければ海外での日本酒は、流行ものとして、または珍しいアルコールという程度の、狭い範囲に限定されてしまうだろう。
(ジョン・ゴントナー:日本酒ジャーナリスト)

月刊 酒文化2005年05月号掲載