ペトリュス物語

 ブルゴーニュのロマネ・コンティに並ぶか、それを凌ぐといわれる幻の赤ワインがボルドーにある。それが、ポムロール地域のシャトー・ペトリュスである。
 「幻の銘酒」といわれる訳は、生産量が極少量で、凄く美味しいという評判を取り、値段が極端に高いので、実際に飲んだ人はほとんどいないワインだからだ。年代ものは一本で五〇万円から一〇〇万円もする。
 僕はロマネ・コンティは一回だけ飲んだことがあるが、ペトリュスは、色々な僥倖が重なり、二〇本以上飲んでいる。その幸運な話しをしよう。
 ポムロールは、ジロンド河の右岸に位置し、隣の地域はシュヴァル・ブランやシャトー・オゾーンという高級赤ワインで世界的に著名なサンテミリヨンである。しかし、何世紀もの間、ポムロールのワインはタンニンが非常に強く、渋くて重すぎて二流のワインとみなされてきた。それが、一九七〇年代に革命的に変わる。ペトリュスの葡萄畑の所有者のモエックス氏とペトリュス専属のワイン醸造専門家ベリエ氏の長年の努力が結実したのである。近代的な醸造装置と学問的に裏づけられた技術と知識で、強いタンニンの渋みと葡萄の果実のもつ深い甘味を上手に調和させることに成功したのだ。
 二〇年程前に、ワインの取材に同行してペトリュスの醸造現場を訪問した。モエックス氏の長男のクリスチアン氏とベルエ氏が丁寧に案内してくれて、八本ほどの若いペトリュスの試飲もさせてくれた。ベリエ氏は、キッシンジャー元米国大統領特別補佐官に似た容貌だが、身体全体からワイン作りにかける情熱が痛いほど感じられた。ランチを近くのレストランで一緒に食べた。氏のお勧めの特産の「ウナギの赤ワイン煮」は絶品だった。ウナギを蒲焼でもなく白焼きでワサビでもなく、赤ワインで煮込むという発想に、「さすがボルドー」と驚嘆の声を上げた。
 偶々、そのベルエ氏の親友で、ペトリュスのコレクショナーとしても有名なロベール・ヴィフィアンが共通の友人であることが判明した。ロベールは無名時代からペトリュスの価値を認め、飲む立場からベルエ氏の努力を励ました功労者だ。オルセー美術館の側のパリ七区で「タンディン」というヴェトナム料理店を家族で経営していて、自分で料理を考案するシェフである。ヌヴェル・キュイジーヌのヴェトナム料理とコレクション物の高級ワインの組み合わせが評判を呼んで、世界中からお客が来ている。
 僕はヴェトナム政治を専門にしているが、一九世紀後半のヴェトナムに関する仏語の本が出版された時に、その本をロベールの父親に贈呈しに「タンディン」に行ったことがある。皆で出版をシャンパンで祝福してくれて、食事が始まった。ロベールが「安物のワインだけど」と赤ワインをさりげなく持ってきてくれた。それは、「ペトリュス一九七五」だった。
 「幻の銘酒」ペトリュスを飲む時はいつも緊張するが、一口含むと、何の変哲もないワインというのが第一印象だ。だが、口に滞留させて良く噛むと、強いタンニンの渋みが口一杯に広がる。その渋みに気品があって美味しい。と同時に、様々な花の高貴な香りも舞い出てきて、ワインが丸く、豊かに盛り上がってくる。飲み込むと、喉越しがさわやかで、残り香のアロマがしっとり跡を追う。口や喉に豊饒な忘れがたい記憶を残すワインだった。結局、人もモノも超一流品は、飾り気や虚勢がない自然体なのだと気付かされた。
(つぼいよしはる:パリ政治学院客員教授、パリ在住)

月刊 酒文化2005年01月号掲載