ソムリエ用語

 パリの三ツ星レストラン「ランボワジー」のチーフ・ソムリエのピエールは、素晴らしいワイン用語を使う。友人のお嬢さんの誕生日を祝う夕食会をした時、女性の誕生日記念に最高なワインは何かと聞くと、ピエールは即座に「シャトー・マルゴーは女性向きの最高峰、シャトー・ラ・トゥールは男性向けの最高峰」と言って、シャトー・マルゴーを持ってきた。その優雅な色合い、豊満なのに繊細な味、絹のような喉越しは、確かに女性向きである。ピエールは、皆にマルゴーを一口口に含ませた後、「バラの花の香りがしませんか」と尋ねた。シャトー・マルゴーを「バラの花の香り」と一言で定義づけた力量に感銘した。
 ソムリエが使うワインの味や香りを特定する用語は、時には科学者の専門用語であったり、時には詩人の言葉であったりと、多彩である。特に、花の香りや果実の匂いを隠喩として多用する。バラの花の匂い、ひなげしの花の匂い、フランボワーズ(ラズベリー)の香り、カシス(黒すぐり)の芳香と表現されると、そんなものかなとつい納得してしまう。だが、古い皮の匂い、落ち葉の匂い、土の香り、小石の微かな香りと言われても、頭がついていかない。 
 だが、ボルドーや南仏等の葡萄畑などを実際に歩いてみると、ピエールたちのソムリエが使うワイン用語が少しは理解できるようになった。というのは、フランスの「葡萄畑」は、日本の「畑」とは全然違っていたからである。日本で「畑」というと、良く耕され整地された柔らかな大地を思い浮かべるが、フランスの葡萄畑は大きな石がゴロゴロしていたり、小石と砂が混じった硬い土地であったりする。周囲は森や林に囲まれている所も多く、できるだけ自然状態で葡萄を生長させるという思想がある。
 その硬いゴロゴロした地面から逞しい葡萄の木が枝を広げ、太い幹に成長する。葡萄を摘むのに楽なように、樹の高さは人間の腰のあたりまでしか伸ばさず、横に広げて行く。その方が樹に余計な養分を回すことなく栄養素の全部を果実に集中させるし、強風にも強い。葡萄は小石や石ころと戦って、成長する。弱いものは淘汰され、力強いものだけが生き残る。この力強さの思想は料理にも現れている。
 日本料理とフランス料理の違いは、発想の違いにあると思う。日本料理は胃に負担をかけないように優しく食べ物を隙間なく胃に入れていくが、フランス料理は強いものと強いものをぶつけ合って、その戦いを楽しむ構成になっている。身体が健康で胃が丈夫な時はフランス料理を堪能できるが、体調が悪いと重過ぎて食べる気になれない。そんな時は、日本食が恋しい。料理とワインも同様に、強いもの同士をぶつけ合わせて、その「融合(結婚)」を楽しむ。相性が良いと、素晴らしいハーモニーが生まれる。
 先日、「ル・ムーリス」で久しぶりにシャトー・マルゴーを飲む機会を得た。女性向きに優しく繊細といっても、その背後に力強さと骨格の太さも同時に感じた。「これらのバランスこそ格付けワインの真骨頂だ」と、ドミニックというソムリエはうなずいて言った。
 科学者の冷静な分析力と詩人の豊かな想像力の二つで裏付けられたソムリエの表現を分かるようになると、ワインをより深く楽しめる。しかし何よりも必要なことは、強いもの同士のぶつかり合いを楽しめる頑強な胃袋であろう。
(つぼいよしはる:パリ政治学院客員教授、パリ在住)

月刊 酒文化2005年03月号掲載