シードルと夏休み

 数年前からの健康ブームで、リンゴからつくるシードル(Cidre)の人気が一挙に回復した。原産地呼称規制AOC(Appellation d'Origine Contrôlée)の対象で、主にフランスの北西部、ノルマンディーとブルターニュでつくられている。殺菌して大量生産されるものは別として、農家でつくられる個性の強いシードルは長持ちせず、一年から一年半で飲み切る。それで毎夏、今年の地元シードルを味わうことを楽しみにやって来る人々も多い。
 一般には、クレープやガレットに合うことで知られているが、デザート用の甘口からジビエ料理に合うキリリとした辛口まである。そしてその味は、どの種類のリンゴをどのような割合で混ぜるかにかかっている。例外はブルターニュのモルビアン県で採れるギルヴィック種(Guillevic)。甘さと辛さを兼ね備えているので、他のリンゴと混ぜなくても、これだけで極上シードルができるという唯一の品種だ。
 古代ローマ時代のギリシア系地理学者ストラボンが『地理誌』でシードルに言及していることからわかるように、その源は二〇〇〇年にも遡ることができる。
 転機は一六世紀。ヨーロッパに氷河期が訪れた。ブドウ畑が荒廃し、代わりに寒さに強いリンゴが栽培されるようになり、シードルの生産量が急速に伸びたのである。一九世紀末が全盛期だったといわれる。が、二〇世紀中頃から、旧仏植民地であった北アフリカのアルジェリア産ワインの人気に押され、衰退の途をたどる。
 科学のメスが入ることも遅れた。レンヌ市のシードル醸造研究所の所長を一九六八年から二〇〇六年まで勤めたジャン・フランソワ ドリユー氏Jean-Francois Drilleauは、「七〇年代、ビールやワインの生産過程はすでに合理化、近代化されていたが、それに比べると、シードルには一五〇年の遅れがあった」と言う(注1)。醸造過程を完全に把握することができず、美味しくできても何が鍵になっているのかは定かではない、偶然に頼るような状態だったという。そして発酵過程を安定させる手法が徹底的に研究されるようになった。一九八〇年代には、高品質の製品がコンスタントに生産されるような合理化が進んだ。
 関係者たちの努力が実って、AOC「シードル・ド・コルノアイユCidre de Cornouaille」が認証されるようになったのが一九九五年。二〇〇〇年には「ロワイヤル・ギルヴィックRoyal Guillevic」が、超優良農産物にだけ与えられるラベル・ルージュLabel Rougeを獲得。そして健康ブームにのって自然で本物志向、地域性の濃い飲み物が求められるようになると、「土着」のイメージが強かったシードルが都会でも飲まれるようになった。
 フランスではお酒の嗜み方を学ぶのも家庭教育のひとつ。家族でゆっくり食卓を囲む機会も多い夏休み、シードルを舐めさせてもらっている子どもたちも多いはずだ。
(注1):Une nouvelle jeunesse pour le cidre breton, p.7, Ar Men Juillet-Août 2010,
(なつき・パリ在住)
http://natsukihop.exblog.jp/

月刊 酒文化2010年09月号掲載