港町の男たちのリキュール、パスティス51

 この夏、マルセイユに遊びに行った。旧港のキャフェでパスティス片手に政治談義に口角泡を飛ばしている男たちを見ていると、南仏にいる実感がじわじわと湧いてきた。ニースやカンヌといった小綺麗な南仏も良いが、世界中を航海してきた一癖も二癖もある海の男たちが暮らすマルセイユの活気は、これまた格別だ。
 この街と切り離せない関係にあるのがパスティス。ポピュラーなのはPernod-Ricard社の「51」と「Pernod」だ。南仏を舞台とした作品をたくさん書いたマルセル・パニョルの小説、間抜けな警官役でフランスのコミック映画を風靡したルイ・ド・フュネスの台詞や船乗りの飲み歌の歌詞にも登場する。
 「51」は中国産アニスとリコリス、フェンネルなどの南仏産ハーブ、甘草、コーラの実を浸漬させて、キャラメルで着色したもの。一方、「Pernod」は甘草の量が「51」に比べて少なく、その代わりにミント、コリアンドルも含まれている蒸溜酒。他社製品も多数あるが、アルコール度が45度以上、アニスが1lあたり2g以上のものだけが「Pastis de Marseille」と表記することが許可されている。暑いときに喉の乾きを癒してくれる、ギリシャのウゾ、トルコのラキにあたる地中海ならではの飲み物だ。いずれも5倍から7倍の水を足して飲む飲み方が普通だが、水を入れると白く濁るのが特徴だ。アニスの匂いがきついので、好き嫌いがあるが、南仏では料理にもよく使われる。パスティス風味のエスカルゴ、ムール貝のパスティスフランベ、鱒のパスティス蒸しなど。
 燦々と輝く太陽と南仏のゆったり流れる時間を連想させるパスティスだが、その歴史は、政府の禁酒法に対抗する一般庶民のレジスタンスの歴史でもあったことも忘れてはならない。
 20世紀初頭、アプサンの流行によるアルコール中毒がフランス中を蝕んだ。1914年、16度以上のアルコールが健康上の理由で全面的に禁止されるが、アプサンに似た味の代用品として、パスティスと呼ばれるアニス酒が秘密裡に出回るようになった。プロヴァンス語で「混ぜ物」という意味のpastis、あるいはフランス語で「まがいもの」という意味のpasticheをもじって名付けられたといわれている。当時まだ20代だったRicard社の創始者ポール・リカールは、数度の罰金刑にもかかわらずアニス酒を南仏一帯で密売し続け、同時に禁酒法の軽減を政府に嘆願し続けた。1920年30度以下、1922年40度までのアニス酒が許可される。1938年、やっと45度まで許可されると、ポール・リカールは「リカール、マルセイユのほんものパスティス」というキャッチコピーで「Pastis」を正式の商品名として売り出し大成功を治めた。同時にライバル社ペルノーは「Pernod 45」を売り出した。
 しかし1940年、ナチスドイツがフランスに侵攻すると、フランスはわずか1ヶ月であっけなく降伏。親独政府ヴィシー政権は、フランスの敗北の一因は「アペリチフばかり飲んでいる無気力なフランス」と称し、ふたたび、16度以上のアルコールを全面的に禁止。南仏一帯では、アニスのエッセンスが密売され、自宅でのパスティス密造が広まった。パスティスの販売許可が降りたのは戦後6年目、1951年のことだ。解禁年を祝って「Pernod 51」が売り出され、後に「Pastis 51」と改名。今はただ「51」と呼ばれ親しまれている。
 今は亡きシャンソン歌手ゲンスブールはお気に入りはダブルのパスティスだったという。バーのカウンターで、「102!(51x2=102)」と注文していたというエピソードもある。(なつき:パリ在住) 

月刊 酒文化2010年10月号掲載