解禁されて10年、アブサンの人気が復活

 どちらかというと19世紀を彷彿させる禁断の酒、アブサンが若者のあいだで話題になっている。「伝統的なアブサン」を看板に掲げるバーが増え、デグスタシオンのおごそかな儀式を体験できると大好評だ。
 アブサンは薬草系リキュールの一種で、ニガヨモギ、アニス、ウイキョウ、を中心にしたハーブを主成分にしている。アルコール度は低くても40%、強いものになると70%を超えるという。薄い緑色をしているため「緑の妖精」とも呼ばれ、水を加えると白く濁る。飲み方にはいろいろあるが、特徴的なのは、グラスに渡したアブサンスプーン上に砂糖を置き、その上に、ほんの数滴水を注ぐという方法だ。砂糖をアブサンに浸して火を点して溶かすこともある。砂糖が美しい模様を描きながらグラスの中に落ちるような細工がほどこされた専用スプーンや、水量を微妙に調節できるシステムのアンティークなフォンテーンなども、儀式を美しくするのに欠かせないアイテムだ。
 ギリシャ時代の医師ヒポクラテスの著作中では消毒薬として言及されているアブサンだが、フランスで商品化されたのは1797年。原料はスイスで作られていたニガヨモギを原料とした薬、それも民間療法に使う何の変哲もない薬だったという。医師ピエール・オーディナーレがそれを蒸溜し独自の処方でアブサンを発案。おもに、スイスとの国境にあるフランスの小さな街ポンタリエで醸造されるようになった。この地方だけで飲まれる地酒でしかなかったアブサンが、1830年代以降、フランス中に広がった。北アフリカのアルジェリア侵略戦争に従軍した兵隊たちが赤痢予防のためにアブサンを飲むのを習慣にし、帰還後、本国で流行らしたということだ。
 1865年にぶどう畑が害虫で全滅しワインの生産が落下するとアブサンの需要が急増。1870年、普仏戦争の時代には、アペリチフの90%を占めるほどの人気に上昇したという。1880年代から第一次世界大戦が勃発する1914年までの間には、ワインより安価な酒として市場を独占した。
 ゾラが『居酒屋』(1876年)でアブサン中毒を告発したのを発端に、アルコール中毒を懸念する激しい運動が起こり、1915年、アブサンの生産が禁止された。印象派の画家ゴッホが自ら耳を切り落としたのはアブサンに侵されてといわれているように、主要成分であるニガヨモギに含まれる香味成分ツヨンが幻覚症状や向精神作用を引き起こすというまことしやかな説が信じられていた時代だった。インスピレーションを与えてくれると信じられ、多くのアーチストに愛されたと同時に、狂気やアルコール中毒を引き起こすのではと懸念する人々も多かったのだ。
 アブサンが解禁されるのは1999年、つい10年前のことで、WHOによりツヨン残存許容量10ppm以下のものならば健康に害を与えないと保証されている。
 以来、愛好者たちの地道な努力が実り、新たに売り上げが伸び始めている。アブサンについての博士論文を書いたアルノー・ヴァン=デ=カステール氏もそのひとりで、彼が創立したABSINTHEVENT®という会社では、ガストロノミー、歴史、文化という面からアブサンの可能性をよりよく知ってもらおうと、デグスタシオンのイべントや講演会を企画し好評を得ている。
 手軽に飲める酒ではないが、これからトライしてみたいという方にぜひお勧めしたい本がある。ドゥ・マゴ賞を受賞したクリストフ・バタイユ作の小説、『Absinth アブサン』(邦訳は『聖なる酒の幻』辻邦生訳 集英社)だ。アブサンが禁止される第一次世界大戦勃発前夜を時代背景に、村に棲み着いてアブサンを醸造していた他所者ジョゼと母との間に芽生える密やかな交感の気配が、少年の鋭い感覚を通して描かれている。珠玉の名作だ。
(なつき:パリ在住)

月刊 酒文化2011年01月号掲載