農地の香りがするシャンパン

 2008年以降、2年連続で売上が落ちたシャンパンだが、2010年は、売上が12%伸びたという嬉しいニュースが届いた(ル・モンド紙2010年12月19日付け)。しかし、銘柄ものはルイ・ヴィトンやエルメスなどのブランド品と同様に、国内販売より輸出に頼っているのが実情だ。
 このシャンパンは歴史を通じて、とくに女性に好まれてきたワインでもある。丸いシャンパングラスは、ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人の乳房をかたどって作られたともいわれているし、マリー・アントワネットは「飲んだあとでも、女性の美貌が翳らない唯一のワイン」と言ったとも伝えられている。こんな逸話の数々が、シャンパンという語感に伴うラグジュアリーな雰囲気をつくりあげてきたのかもしれない。
 19世紀の文豪フロベールは『紋切り型辞典』のなかでシャンパンについて次のように述べている。「ワインではないことを理由に興味がないふりをすべし」と。もちろんこの辞書は真実を述べているのではなく、19世紀当時に世間でまかり通っていた偏見や誤解を、彼流の皮肉と悪戯心で辞典にまとめたものである。当時、まことしやかに流布していた「シャンパンはワインではない」という認識を皮肉っているのである。
 正確には、シャンパンはワインにほかならない。シャンパーニュ地方の、ピノ・ノワール、シャルドネーなど8種類のブドウを材料として醸造された発泡ワインのことで、他の地方産の発泡ワインはヴァン・ムスーVin mousseuxと呼ばれて区別されている。
 この「シャンパン(仏語ではシャンパーニュ)」という言葉に、フランスは国のアイデンティティーを賭けても惜しくないほどの思い入れがあるようだ。カリフォルニアで生産される発泡ワインが「カリフォルニア・シャンパン」と呼ばれることに抗議するだけではなく、ワイン以外の商品名としてすら使うことができなくなってしまった。イヴ・サン・ローランですら売り出しを企画していた「シャンパーニュ」という香水の売り出しを諦め、また、フランスの煙草会社セイタは、すでに市場に出ていた「シャンパーニュ」という名称の煙草の商品回収を余儀なくされた。
 シャンパンと切っても切り離せない人物はドン・ペリニヨン(1639-1715)だ。ベネディクト修道院の僧で、修道院の敷地内で栽培されるぶどう栽培の監視を一手に引き受けていた。シャンパンの泡ができる過程を発見した人物という説もあるが、今では、春に行われる2度目の発酵過程で泡ができることは14世紀から知られていたという説が有力だ。シャンパンの第一次発酵は、普通のワインと同じ方法で醸造桶の中でおこなわれる。その次に、様々な畑の、違う年に作られたワインをブレンドするアサンブラージュという過程がある。これが作り手の腕の見せどころでもある。ドン・ペリニヨンの実際の功績は、農民たちが教会に収める年貢であるぶどう各種を、ブレンドする技術を発展させたことらしい。ブレンドされたワインは瓶に詰められ、酵母とショ糖を加え、第二次発酵のために寝かされる。最低でも15ヶ月、ヴィンテージものは3年寝かすことに決められている。
 最近は、ぶどうの香りがし、風土が感じられるシャンパーニュが25ユーロくらいから売り出され、気軽にプレゼントしたりすることも多くなった。値段だけ高くて、砂糖の味がありありとわかるようなシャンパンはもう嫌だ、銘柄ものでも、ミレジメものでもなくてもかまわない、農地を彷彿とさせられるようなシャンパンを味わいたいという人々が増えてきている。
 それでも、是が非でも贅沢したい人もいるらしく、パリの最高級ホテルのひとつ、Hotêl Prince de Gallesでは6000ユーロで160Lのシャンパン風呂を用意してくれるそうだ。もちろん、飲むためのシャンパン1本と2人分のプティ・フールの盛り合わせもついているということ。
(なつき:パリ在住)

月刊 酒文化2011年02月号掲載