女性ソムリエの時代

 フランスでは、ワインにまつわる仕事をするのは圧倒的に男性が多い。日本、ロシア、スカンジナビアでは女性のソムリエは普通のことで、スウェーデンではなんと80%のソムリエが女性ということだが、フランスではわずか20%を占めるのみだ。
 2010年4月の国際ソムリエコンクールで上位12人のうち4人が女性だったが、フランス人女性は皆無だった。フランスソムリエ連盟の会長セルジュ・DUBS氏は「ワインの世界でここ数年の女性活躍にはすばらしいものがある。ただ、レストランで長く働く女性ソムリエは少ない。後々はワイン醸造教師、顧問などの職種に移動していく人が多い」と語っている。子育てしたい、カップルとしての生活も楽しみたいとなれば、帰宅が遅くなるレストランでの仕事を30歳以上で続けていくのは難しいのかもしれない。
 それだけではなく、ワインがこの国の文化にあまりにも深く関わっているため、かえって伝統から自由になることができないのかもしれない。18世紀まで国教であったキリスト教の正典である旧約聖書の士師記に次のようにある。「主の使いはマノアに言った。『私がさきに女に言ったことは皆、守らせなければいけません。すなわちぶどうの木から産するものはすべて食べてはなりません。またぶどう酒と濃い酒を飲んではなりません。また、すべて汚れたものを食べてはなりません』」と。もちろん約2千年前に書かれたことを今の私たちの生活にあてはめることはできないし、私にはその言葉の裏にある意味をひも解く教養もない。しかし、この時点で、なんらかのタブーがあったのでは? と問わずにはいれない。
 レストランでまず最初にワインリストに目を通すのは男性であることが多い。女性の意見も聞くが、最終的に注文するのは男性だ。日常生活でも、家に友人たちを招待する場合、アペリチフを出したりワインの栓を抜くのは男主人だ。中高生の男の子などがいれば、躾けの一環なのか、お父さんの手伝いをさせられる。テーブルでワインを招待客に注ぐのも男性で、女性はあまりそういうサービスをしないのが普通だ。
 しかし、こんな習慣を背景にしながらも、80年代から女性たちはじわじわとワインの世界に進出し始めた。その先駆者となったのは、イザベル・フォレ。1980年代に『バッカスと女性』を出版しベストセラーになったワイン・ジャーナリストである。ブルゴーニュ地方の代々ぶどう栽培を営む家に育ち、8歳から香りを記憶するゲームや、味を言葉にして言い表す遊びなどを家庭でしながら育った人だ。女性をターゲットにしたワインガイドを執筆し、サイトwww.winewomanworld.comの運営もし、彼女の著作をきっかけに、情熱をもってワインの仕事を切り開いていった女性も多いそうだ。フォレ氏いわく、「シャトー・マルゴ、オーブリオン、ラ・ロマネ・コンティなど、世界中に名を馳せたシャトーの城主は女性だったことからもわかるように、最高級のワインの裏には女性の力がある」ということだ。
 女性ならではの力をなんとか活かせないものだろうか? 1993年にMeilleur jeune sommelier de franceに選ばれたマルレーン・ヴァンドラメリは、パリの名門ホテル・ブリストルのソムリエ長も勤めた数少ない女性だ。当時は女性ソムリエは9%という少なさで、ワインリストをもって行くと「ま、あなたがソムリエ?」とびっくりされることもあったけれども、かえって新鮮に思われ、スムーズに会話が弾んだこともあったという。
 ソムリエに求められているのは、デグスタシオンの感受性、分析能力、香りと味の記憶力だ。そのほか、ワインにまつわる会話を楽しく活性化し、かつ出過ぎないことも大切だという。女性ならではの感受性がプラスになることはあってもマイナスになることはないだろう。マッチョな仕事というイメージを超えて、これからの女性ソムリエに期待したい。
(なつき:パリ在住) 

月刊 酒文化2011年04月号掲載