ヴェネツィアのカクテル

 イタリアは地域性が色濃く残っていて、土地ごとに料理や飲み物はずいぶんと変わる。夕食の前にバールへ立ち寄って楽しく取られているアペリティーヴォ(食前酒)も地域によって人気の高い酒が違う。もともとアペリティーヴォは北イタリアで始まった習慣で、今でもミラノやヴェネツィアなどではとても盛ん。運河町とゴンドラの町として知られているロマンチックなヴェネツィアは、カクテルとアペリティーヴォが大好きなところでもあるのだ。
 ヴェネツィアのカクテルと言えばスプリツ。日本でもイタリアのほかの地域でもあまり知られていないが、ヴェネツィアでは大人気だ。スプリツは、炭酸水に白ワイン、氷、レモンの皮でつくるカクテルで、好みによってアペロル(香草からつくるオレンジ色のリキュール)やチナール(アーティチョークをなどでつくるほろ苦いリキュール)などを加える。ヴェネツィアがオーストリアの支配下にあった時代、アルコール度数が低いとされていたオーストリアのワインを、もう少しアルコール度を強くさせるためにリキュールを加えて飲んだのが始まりとされる。
 また、ピンク色のカクテル、ベッリーニもヴェネツィア生まれだ。桃のジュースとプロセッコ(ヴェネト州で生まれたブドウ品種)などのスプマンテ(発泡性ワイン)でつくるベッリーニは、一九四八年にヴェネツィアのハリーズ・バーのバリスタが、画家ベッリーニの展覧会を記念してつくったという。そのハリーズ・バーの常連だった作家ヘミングウェイが好み、このカクテルを世界に知らしめるのに一役買った。ベッリーニとロッシーニと聞くと音楽ファンはイタリアが生んだふたりの音楽家を思い浮かべるだろう。もちろんカクテルのロッシーニは「セビリアの理髪師」などの大作曲家にちなんだ命名である。だが、ベッリーニは、作曲家ヴィンツェンツォ・ベッリーニではなく、ルネサンス初期に活躍した画家ジョヴァンニ・ベッリーニに由来する。
 ベッリーニは夏にピッタリのさわやかなアペリティーヴォとして、その人気がたちまち世界中に拡大した。桃などの酸味と甘みとアルコールのバランスがよく、やさしい色合いとのど越しは女性に人気が高い。
 ベッリーニは、残念ながら砂糖が入った市販のピーチジュースやネクターでつくられている場合が殆ど。だが、オリジナルのレシピでは生の桃を丸ごと使ってつくる。しかも使う果物はイタリアでよく食べられている黄色い桃ではなく、日本でもお馴染みのピンクの桃を使う。これを使用することによって柔らかな口当たりが得られる。桃のジュースやピュレを四分の一、スプマンテを四分の三が基本で、高級バージョンにはシャンパンを使ったりもする。
 ベッリーニからインスピレーションをもらい、後からアレンジされた新バージョンは、有名な画家のティツィアーノの名前を持っている。桃の代わりに甘くていい香りのアメリカブドウでつくる。また、桃の代わりにオレンジを用いたのがミモーザ。前述のロッシーニもこのタイプで、苺ジュースでつくる。苺を一杯につき一〇粒も使う。苺をあらかじめ凍らせておくと、フローズンっぽく、ネットリとした口当たりになる。
 ヴェネツィアにいらっしゃるときには、これらのカクテルをぜひお試しを。またイタリアに来なくても、イタリアの音楽と美術を連想させるおいしさを気軽に楽しんでみてはいかがでしょう。
(シェイラ・ラシッドギル:コラムニスト、ローマ在住)

月刊 酒文化2007年03月号掲載