セルビア式の酒の席にて

 ハンガリーには海が無い、代わりに計7カ国との国境がある。人と文化が行き交うヨーロッパの真ん中で、日常の生活の中に民族や宗教によって、ちょっとした文化の違いを発見する事が出来る。
 数年前、セルビア出身の友人にセルビア正月のパーティに誘われた。90年代に起こったユーゴ紛争では、旧ユーゴに住む多くの住民が戦火を逃れてハンガリーへとやってきた。わたしの友人もその一人、多くのセルビア人は平和の戻った祖国へと帰っていったが、彼はブダペストで出会ったハンガリー人女性と結婚してハンガリーに留まった。セルビア正教で使用される暦では2週間遅れて1月7日にクリスマスが来る、だからセルビア正月は1月14日、この日にあわせて友人は郊外のレストランを貸し切り、セルビア料理を準備して多くの客を招待していた。
 友人の手配したバスでそのレストランに向かう途中、一軒の肉屋に立ち寄った。友人はそこで、注文してあった子豚やひき肉を受け取りバスに積み込む。この肉屋を経営しているのもセルビア系の家族だ。ハンガリーにはオスマントルコが東欧まで支配を広げた時代にトルコ人に追われてハンガリーにたどり着いたセルビア系の住民も多い。肉屋の主人、ミッシーおじさんとその家族は、何代もの世代交代を経て今もなお家庭ではセルビア語を話していると言う。
 午後から始まったパーティ、食卓には次々と友人の作った料理が運ばれてくる。ミッシーおじさんから仕入れたひき肉は、細長く丸められたチェヴァプチチやハンバーグ型のプレスカヴィッツァ、ベーコン入りのミートボールなど伝統的なセルビア料理に様変わりして、皿にどさっと盛られている。それらを食べている間にも、レストランの外では子豚がゆっくりと炭火の上を回転している。大量に用意されたビールにワインはどんどん消費され、ウォッカやパーリンカ(果物の蒸溜酒)がショットグラスに勢いよく注がれる。肉とアルコールの繰り返しがエンドレスに続くのかと不安を覚えるほどの、長い宴会が繰り広げられた。
すでにかなりの量の酒が入っているのだろう、ミッシーおじさんは、赤くなった頬と鼻の頭をつやつやさせながら、ご機嫌で冗談を言っている。近くに座ったわたしが日本人だとわかると嬉しそうにうなずいた。そしてわたしの目を見てにやっとした瞬間、手に持っていたグラスを持ち上げ後ろの壁に叩きつけた。ガッシャーンという音と共に砕け散るグラス、そしてミッシーおじさんは笑顔でこう言った『わしはセルビア人なんだよ』セルビアをはじめバルカン半島では特別な席でグラスを割るという習慣があるのだ、聞いてはいたけど、さすがに突然の事に驚いた。ミッシーおじさんは次に皿を持ち上げた、これも割るのか? と思ったら、その皿をテーブルに置きなおしてこう言った。『でも、わしはギリシャ人ではないからね、はっはっは〜(笑)』ギリシャでは皿も割るのかもしれない、これは残念ながらまだ目の当たりにしていないのだけど。陽気なミッシーおじさんにとってのセルビアとギリシャの違いがグラスと皿にあるのもなかなか面白い、そして宴会は夜半過ぎまで延々と続くのであった。
(すずきふみえ:フォトグラファー・ライター、ブダペスト在住)

月刊 酒文化2007年04月号掲載