甘さの秘密は花の蜜

 今年も友人に誘われて、エメラルドグリーンに輝くアドリア海での夏休みを楽しんだ。この海を故郷とするダルマチア地方出身の友人は海の男だ。アフリカなどの外洋で数ヶ月働いて、休暇になると自宅代わりでもあるセイリングボートに乗ってアドリア海に浮かび、激務に疲れた体をしばし休める。小さな港町のベンチには、いかにも元船員と言った風采のお年寄りたちが毎日集まっておしゃべりをしている。その背景には石造りの古い家が連なり、パームツリーの木が伸びる、まるで映画のセットのような出来すぎた情景・・・井戸端会議ならぬ、港端会議の様子にカメラを向ける。カメラに気がついた大柄な老人が笑顔で手を振る。「日本にも行ったことがあるよ、神戸に、横浜に・・・」なんて話しかけられた事も数回ある。
 ラストヴォ島の小さな湾に停泊して、地元のレストランで食事した時の事、食前にじゃあ、まずトラヴァリッツァ(グラッパベースのハーブ酒)でも頼もうかと思ったら、自家製の果物で作られたリキュールを勧められた。どんなリキュールがあるのかと聞くと、四種類の味があるという。キャロブ、レモン、サワーチェリー、そしてミルタと呼ばれるミルトス(ギンバイカ)の実。これらの果物は、すべてこのレストランを経営する一家の庭で収穫されたと言い、そう聞くと四種類全部試したくなってしまい、食前と食後にそれぞれを味見する。トラヴァリッツァと同じく、ベースとなる蒸溜酒はグラッパ、そこに収穫した果物を漬け込む。少量の砂糖を加える場合もあるというが、出来上がったリキュールは甘すぎることなくさっぱりと飲みやすい。キャロブはカカオに近いスパイシーな香り、レモンは爽やかな蒼い味、とろりと果実の欠片を残す深紅のサワーチェリー、そして野生ベリー系の香りを残すミルタ、どれも絶品! なによりドマチェ(自家製)の味はなんともやさしい。
 このレストランの隣には、小さなペンションが「ワイン、オリーブオイルあります」との看板を掲げていた。ダルマチアは隠れたワインの産地でもある。空になったミネラルウォーターのボトルを二本持って、看板のあるペンションへワインを買いに行った。ここで売っているワインはマラシュティナと呼ばれるブドウから作られる白ワイン、このあたりに古くからある品種で、大きな房に小さな実をたくさんつけるのだと言う。「昔はダルマチアの人は水なんて飲まなかった、子どもだってワインを飲んでいたくらいだよ」と友人は笑顔で嬉しそうに語る。マラシュティナは「マラシュチーナ・メディチーナ(薬)」とも呼ばれるらしい。
 別の島で、島で作られた酒を売る小さな店に立ち寄った。ハーブとともにボトルに詰められた金色に輝くトラヴァリッツァは美しく、おみやげとしても人気だ。もちろん試飲と称して一杯飲むことの出来るバーも兼ねている。ここでもまたおすすめのリキュールに出会う。口をつけるまでは何のリキュールか教えてもらえなかった、その淡い褐色のリキュールは予想を反して甘かった。でも砂糖のように舌に残るわけではない、やわらかく不思議な甘さ。蜂蜜入りのリキュールなのかと聞くと、店主は首を振った「これはサルビアの花のリキュールです」。サルビアの花! 子どもの頃、花を摘んでは蜜を吸っていた甘い記憶が、蝉の鳴き声とともに、ふわっと呼び起こされた。
(すずきふみえ フォトグラファーー・ライター、ブダペスト在住)

月刊 酒文化2007年09月号掲載