ブダペストのディープな夜

 民主化されて18年、EUに加盟してすでに3年経つハンガリー、街の変化は著しい。ブダペストは近年まれに見る建設ラッシュ、20世紀初頭に建てられたのだろう古い集合住宅の建物に挟まれて新築のビルが建っていたりする。近代的なショッピングセンターは年中賑わっているし、最近では高級ブランドショップもポツポツ見かけるようになった。大通りにはモダンなレストランが西欧並みの値段で高級なハンガリーワインとフュージョン料理をサーブする。
 それでも、横道に入ると、そこには昔ながらのコチマ(居酒屋)が昼間から店を開けている。ワインを頼めば、冷蔵庫に入っているポリタンクや、カウンターに取り付けてあるステンレス製の桶のフタをあけ、ワインをヒシャクですくってグラスに注いでくれる。ワインの国ハンガリーでは、ワインは気取らない普段着のような酒、そして酔っぱらうための酒だ、もちろん国際的な賞を取るほどの高級ワインも多々あるけれど。
 ここ数年、ウクライナからジプシーバンドがブダペストに来ては数週間滞在し、毎晩カフェやコチマで演奏している。彼らが演奏するのは土地に伝わる伝統的な民族音楽、ヴァイオリンやアコーディオンの奏でるその音はスピード感に溢れファンキーでさえある、わたしのお気に入りのバンドだ。ある日、バンドのスケジュールを管理する友人から、とあるコチマで演奏するので遊びに来いと誘われた。聞いた事の無いコチマだったので住所を頼りに夜道を歩く。教えられた通りに出ると、彼らの演奏が聞こえてきた、でもそこには看板も何も出ていない。番地もあっているし、演奏も聞こえるので、扉を開けようとすると、なぜか鍵がかかっていた。不思議なコチマだなと思いながら呼び鈴を鳴らす。開かれた扉の向こうの小さな空間では、バンドのメンバー4人が丸くなって演奏していて、その周りに客が集まり、踊りだす人もいて大いに盛り上がっていた。
 ドリンクは2階で買えるというので、曲の合間に2階に上がりワインとウォッカを頼む。ペットボトルから注がれるワインはスロヴァキア産のワインだと教えてくれた、そしてウォッカは無いけどボロヴィチカならあると言う。ボロヴィチカとはスロバキアで飲まれる蒸溜酒、ジュニパー・ベリーからつくられるスロヴァキア版のジンだ、ハンガリーのコチマではあまり目にすることはない。精算してもらうと驚くほど安くて、思わず友人と顔を見合わせてしまった。どうやらスロヴァキアから安い酒を運んできて営業している無認可のコチマらしい。店の看板も無く宣伝もしていない、狭い店内はまるで誰かの家の応接間のような雰囲気、知っている人たちだけが来る店、アンダーグラウンドな空気が漂う。なんだかタイムトラベルをしたような気分で、ブダペストにもまだこんなところがあるのかと感心してしまった。
 そのコチマのすぐ近く、デパートの最上階と屋上が今年新しくバーとしてオープンして、毎晩座る場所が無いほどの人気を集めている。初めて行った時、エレベーターに乗り込むと中にエレベーターボーイがいて驚いた。そして、エレベーターボーイはわたし達にエレベーターの中に備え付けられたベンチをすすめ「喉の渇いた方、飲み物はいかがですか?」と聞いてきた。冗談でも言っているのかと思ったら、エレベーターボーイは隣に置いてあったクーラーボックスを笑顔で開けて見せる、その中にはパーリンカ(果物の蒸溜酒)の小瓶が詰まっていたのだ。エレベーターの中でも一瓶買って、くいっと飲み干せる、なんとも小粋なユーモアに、またまた感心してしまうブダペストの夜なのである。
(すずきふみえ:フォトグラファー・ライター、ブダペスト在住)

月刊 酒文化2007年10月号掲載