自家製蒸溜酒は伝統文化

 中東欧の人々にとって国民酒とも言える地酒は果物の蒸溜酒だろう。たいていの家の庭には果物のなる木が植えられていて、チェリーに始まり、アプリコット、そしてプラム、洋梨、リンゴまで、春から秋にかけては果物天国となる。たわわな実をつけた果物の木、こちらに住み始めて見慣れたとは言え、見かける度に自然の恵みの素晴らしさに感動を覚える。ルーマニアに住む友人は、朝、地面に落ちている実を拾ってはプラスチックの大樽に放り込んでいた。ほおっておけば、そのまま自然に発酵すると言う。そして発酵した果物の液体を村や町で管理する蒸溜所に運ぶ。2回以上蒸溜され、無色透明になった液体はアルコール度数も50度を超える強い酒となる。ハンガリー語では「パーリンカ」、ルーマニア語では「ツイカ」、山の方では「ホリンカ」、旧ユーゴ諸国からブルガリアにかけては果物の種類によっても呼び方が変わるが、一般的にはまとめて「ラキア」と呼ばれている。
 先日、マケドニア人の友人がブダペストに訪ねてきた。我が家に泊まって迎えた朝の事、顔を洗って洗面所から出てきた彼は、眠い目をこすっているわたしのパートナーに、晴れやかな顔で胸のポケットから小瓶を差し出し「アフターシェイブはどう?」と、聞いていた。その無色透明な液体は、彼が実家から持ってきた自家製のラキアだ。朝、起きぬけの一杯、ルーマニア北部マラムレシュ地方を旅している時も度々勧められたっけ。さすがに日中仕事のあった彼は、それでは一杯と言うわけにはいかなかったけど、なんともバルカンらしいリズムとユーモアの思い出される瞬間だった。
 この友人はマケドニアからもっとラキアを持って来れば良かったと嘆いていた、なぜならブダペストではマケドニアほど簡単には手に入らないのだ。同じ酒文化を持つ国ハンガリー、彼にとってはラキアが手に入りにくいとは思いもよらなかったらしい。ハンガリーではEUに加盟して以来、自家製の酒を売るには規制が厳しく、また、大手の酒会社がつくる市販のパーリンカは値段が上がりもはや高級品だ。マケドニアだったら1リットル、2.5ユーロくらいだよ、と言う友人、それはいくらなんでも安すぎないだろうか? 次回マケドニアに行く機会があったらぜひ確かめてみたい。
 EUに加盟するまではブダペストにもワインの量り売りの店があったし、パーリンカを売る農家の人が市場にいた。製造工程の管理、酒税など、EUの規格がハンガリーの規格となり、昔から続いている自家製の酒文化の危機とも言われた。それでも、たいていのハンガリー人は今でも親戚や友人が、田舎で蒸溜したパーリンカを飲んでいる。知人のお宅にお邪魔したとき、倉庫に10リットル入りだろう大きなプラスチックのボトルがずらりと並んでいて驚いた。なかはもちろん透明な液体、「これはパーリンカだよね」と聞くと、「あまり大きな声では言えないんだけどね」と、笑いながら味見をさせてくれた。
 実は今でもブダペストの市場では自家製のパーリンカを売る人がいる。ジャガイモやらパプリカが積まれた間に水の入ったペットボトルをぽんと置いてあるのがサインだ。わたしも来客やホームパーティなど、パーリンカが必要な時には、隠れパーリンカ売りが増える土曜の午前中の青空市場へ行く。最近通っているMおばちゃんの野菜スタンド、「おはよう、元気?」と声をかけ、「ところでパーリンカあるかなぁ?」と聞くと、ふだんは甲高いおばちゃんの声が、一段低く、そして小さくなり「あるよ」と答えてくれる、これじゃあまるでドラッグディーラーだ(笑)。Mおばちゃんのパーリンカは500ccのジュースの空きペットボトルに詰められ、ご丁寧に古新聞に包まれている、この辺りも闇取り引きっぽい。同じ青空市場で見かけた、やはりパーリンカを売っているおじさんに、無色透明の液体の入ったペットボトルが並んでいる様子を写真に撮ってもいいかと聞いてみたけど予想通り断られた。おじさんは「誰が見ているか分からないからね、今のご時世、飛行機からだって写真が撮れるんだから」と言って笑った。EUに加盟したおかげで、逆に社会主義時代を髣髴させるかのように「誰かに見られている」と心配しながら、伝統文化と言える自家製の酒を隠れて売る、皮肉なシチュエーションについつい苦笑してしまうのである。
(すずきふみえ;フォトグラファー・ライター、ブダペスト在住)

月刊 酒文化2007年11月号掲載