コーシェル・ワイン

 ブダペストには19世紀末に建てられたヨーロッパ最大のシナゴーグ(ユダヤ教会)がある。たまねぎ型のドームを天辺に乗っけた2本の塔が立ち、オリエンタルな雰囲気を漂わせるこの美しいシナゴーグ、博物館も併設していて世界中から観光客が訪れる。
 戦前のブダペストには20万人を超すユダヤ人が住んでいた。戦後、その人口は激減したものの、今でも約8万人のユダヤ人が住み、その文化と伝統は新しい世代に受け継がれている。シナゴーグの裏手に広がるのは古い集合住宅が立ち並ぶブダペスト7区、昔からユダヤ人が多く住む地区で、ユダヤ系の学校や店がある。カジンツィー通りにあるオーソドックス派ユダヤ人のためのシナゴーグの敷地内には『コーシェル』と呼ばれるユダヤの戒律に沿った食品を提供するレストランと肉屋もある。
 コーシェルを守るユダヤ人は様々な食事制限を持つ。肉類ではまず豚肉、魚介類ではうろこの無いもの、例えばタコ、イカ、エビなどは食さない。また、肉類と乳製品を同時に食べる事が出来ないので、ハンガリー料理のように肉料理の皿にサワークリームが添えられる事はないし、生クリームを使ったデザートが食後に出される事も無い。コーシェルを厳しく守る家庭には、肉用と乳製品用の食器が、それぞれ一式別々にあると言う。
 同じく食に関して様々な規定を持つイスラム教との最大の違いは、ユダヤ教ではアルコールの摂取が認められていることだろう。プリムやパスオーバーなどのユダヤ教の祭日、また結婚式の儀式にワインは欠かせない。そして、コーシェルを守るユダヤ人のためにはコーシェル・ワインがつくられている。ブドウを発酵させた酒、ワインはコーシェルに思われるが、ワインを製造する過程で、透明度を増すために添加物を使用する可能性が問題となる。例えばタマゴ、中身に血が一滴でも入っている場合、そのタマゴはコーシェルでは無いので、万が一、ワインに使用した場合、そのワインはコーシェルではなくなってしまうのだ。
 貴腐ワインの産地、トカイでコーシェル・ワインをつくっているセラーを訪れた事がある。セラーの経営者はユダヤ人ではないが、毎年秋、ワインづくりの時期にはラバイ(ユダヤ教の指導者)に来てもらうのだと言う。コーシェル・ワインと認められるには、ラバイによるワインの製造工程の管理、監察が必要なのだ。こうして仕上がったコーシェル・ワインはハンガリーに住むユダヤ人だけでなく、イスラエルを始めユダヤ人が住む他の国にも輸出され、ユダヤの祭日を祝っているのである。
(すずきふみえ:フォトグラファー・ライター、ブダペスト在住) ■ 

月刊 酒文化2008年02月号掲載