グラスを割ってマゼルトフ!

 ブダペスト7区、シナゴーグ(ユダヤ教会)やユダヤ系の学校があり、今でも多くのユダヤ人が住む地区、そして、この辺りは若者の集まるカフェやバーが点在する地区でもある。ブダペストには洒落たレストランやカフェが軒を連ねる通りもあるが、モダンなインテリア、フュージョン料理にハンガリーワインだけでなく、フレンチワインやイタリアンワインも楽しめるとなると、やはり値段も高い。若者が気軽に飲みに行くのは、古い建物や廃墟を改装し、アンダーグラウンド的な雰囲気が漂うカフェやバーだ。いくつかの店はユダヤ系の若者が経営しているのも7区ならではだろう。その中でも、去年、キラーイ通りにオープンした「Siraly(シラーイ)」は、ユダヤ系の若い世代にとって、新しい文化の発信地になっている。
 1階にはバーカウンターとテーブル席、日中はコーヒーを飲みながら、何時間もおしゃべりをするグループや、バーに備え付けられた新聞に目を通す人の姿がある。ラップトップを持ち込む客も多い、ブダペストのカフェの多くは、ワイヤレスのインターネット接続を無料で提供している。2階にはユダヤ教関係の書物を集めたライブラリーがあり、作家などの講演会も開かれる。地下は小劇場となっていて、夜になるとコンサートや演劇、映画の上映が企画される、そしてその頃にはワインやビールを片手にした人々で満席になる。プリムやハヌカなどユダヤの祭日にもいろいろなプログラムが組まれる。暗く重い歴史に巻き込まれた祖父母や両親を持つ若い世代が、そのアイデンティティーと文化に誇りを持ち、仲間と共に新たな時代を創り出そうとするパワーのあふれる場所だ。
 同じくキラーイ通りにある「Kuplung(クプルング)」、ハンガリー語でクラッチという意味のこの店は、トラックの整備場の跡地を改装した飲み屋、コンクリートの床にはテーブルとベンチが並び、薄暗い照明がだだっ広く無機質な店内を照らしている。ここもDJやバンドの演奏があり、若者の集まる典型的な7区の飲み屋。オーナーはイスラエルに数年住んだ後、ブダペストに帰ってきてこの店を開いた、そして、オープンしたての頃、ここで友人が結婚式を挙げた事がある。
 新郎は旧ユーゴスラビア、現在はセルビア共和国に属する自治州ヴォイヴォディナで生まれ、イスラエルに移住したユダヤ人、ヴォイヴォディナはハンガリー系の住民が多く住む地域でもあり、彼もハンガリー語を話し、ブダペストに住んでいた事もある。新婦はフランス系ユダヤ人、2人はイスラエルで出会い、ブダペストに引っ越してきたばかりだった。倉庫のような飲み屋の店内に、ユダヤ教の結婚式が執り行われる「フッパー」と呼ばれる4本柱の天蓋が立てられた。ラバイ(ユダヤ教の指導者)が立会い、式が始まる、宗教色の濃い伝統的な結婚式が7区の飲み屋で。誓約書にサインをして、ワインがグラスに注がれ新郎と新婦が酌み交わす。式の最後、そのワイングラスを新郎が踏み砕く、その瞬間、参列者から『マゼルトフ!(グッド・ラック)』と祝福の声があがり、2人は晴れて夫婦となるのである。
(すずきふみえ:フォトグラファー・ライター、ブダペスト在住) ■

月刊 酒文化2008年04月号掲載