ほんのり赤い色をしたビール

 ポーランド南部に位置する街、クラクフ、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまでポーランド王国の首都だった美しい古都、旧市街には多くの歴史的建造物が立ち並ぶ。ブダペストからは北に約400キロ、距離にするとそんなに遠くはないのだが、ハンガリーとポーランドの間の国には、国土の多くを山岳地帯が占めるスロヴァキアがあり、ブダペストからクラクフまで夜行列車に乗ると約10時間、車でも7時間以上の長旅となる。
 30℃を超える夏日が続く事のあるブダペストに比べると、太陽が出ていても比較的さわやかに感じる7月のクラクフの街、ハンガリーより北に位置している事を実感したのは市場に行った時だった。ハンガリーではとっくに旬を過ぎたイチゴやチェリーが山積みになっているし、ブダペストの市場では探してもほとんど見かけることのない黒スグリ(ブラックカラント)や小さな野いちごの実も売られている。他にもラズベリーや赤スグリなど、鮮やかな赤い色をした実からは、しっとりとした森の空気が感じられるようだ。
 クラクフ旧市街の中心にあるのが中央市場広場、中世に作られた広場では、ヨーロッパ最大といわれる大きな広場だ。広場中央にはその昔、交易に使われていた織物会館があり、一階部分にはみやげ物屋がずらりと並ぶ。そして、織物会館の西側には旧市庁舎の時計塔が、東側には聖マリア教会がそびえたつ。聖マリア教会の塔の最上階からは毎正時にラッパの音が鳴り響き、観光客を乗せた馬車が悠々と横切っていく、絵葉書のような美しさを誇る広場だ。
 年間を通して街には世界中からの観光客が訪れるが、観光シーズン真っ只中の夏、広場は毎日がお祭のような賑わいを見せていた。広場を囲むように立ち並ぶ建物の一階部分はカフェやレストランになっている事が多く、それぞれが店の前にテラス席を用意している。数えられないほどの店があるので、適当に一軒を選んでテラス席でひと休み、広場の雑踏を眺める。メニューを見るとコーヒーと生ビールの値段がほぼ同じ、場所によってはビールのほうが安い店も見かけた。コーヒーが高いのか、ビールが安いのか、コーヒーを飲みたいけど、だったらビールを飲もうかと、ちょっと迷ってしまう。
 周りを見渡すと、ひとつ不思議な事に気がついた。女性客に限るのだけど、ストローでビールを飲んでいるのだ。そして、彼女たちの前にあるストローの入ったビールのグラス、よく見るとビールの色が通常よりも濃く、赤みがかっている。カクテルなのかなと思って、最初に見た時には気にとめなかったのだけど、その後もカフェやバーに立ち寄るたびに、ほんのり赤い色をしたビールをストローで飲むポーランド女性をたびたび見かけたので、一軒の飲み屋で、彼女たちが何を飲んでいるのか聞いてみた。答えはラズベリーシロップの入ったビール。ヨーロッパではラズベリーをはじめ、ブルーベリーやイチゴ、サワーチェリーなど様々な果物のシロップが売られていて、炭酸水で割ると家庭でも簡単に出来るさわやかな清涼飲料となる。彼女たちがストローですすっていたのは、そのシロップの入ったビール、ラズベリーだったから色もほんのり赤みがかっていたのだ。ドイツやオーストリアでは、ビールをレモネードで割った「ラドラー」を見かけるが、ラズベリーシロップと言うのが、なんともポーランドらしいと感じた。ビールの苦味を感じさせない、ほんのり赤いビールは女性でも飲みやすいのだろう、「ポーランドの女性はビールの味が嫌いなんだよ」と、バーのカウンターで働く男性が笑いながら教えてくれた。
(すずきふみえ:ブダペスト在住)

月刊 酒文化2008年10月号掲載