森のウォッカ

 ウォッカと言えばロシアを思い浮かべるかもしれないが、起源はロシアともポーランドとも言われていて、その歴史についてはたぶん両国人とも譲らないだろう。蒸溜された無色透明の酒は、見ただけでは水と変わらない、それはウォッカの語源にも関係してくる。ロシア語とポーランド語は同じスラブ語系に属していて、お互いの言葉だけでもかなりの意思疎通が出来る。ロシア語、ポーランド語とも水はヴォダ(ポーランド語:Wodaロシア語:вода)どちらの言葉でも語尾に「〜カ」をつけて呼ぶと、日本語で言えば「〜ちゃん」的な意味合いとなる、だから『ヴォートカ』、日本語に訳すと「お水ちゃん」、水のように透明な液体、そして水のように愛される酒、それがウォッカ。
 自己主張の少ない、限りなく無味無臭のアルコールに近いウォッカは、世界中で様々なカクテルのベースになっている。でも、本場ロシア、もしくはポーランド、さらに中東欧各国ではウォッカはショットグラスに注いでストレートにクイッと飲み干す酒だ。ウォッカは冷やして飲む、出来れば冷凍庫で冷やしたい。きちんと蒸溜された酒ならば水のように凍ることは無いが、冷凍庫で冷やされたウォッカは、ややとろりとした表情を見せる。そして氷のように冷たいその液体を一気に飲むと、のどを通過する時に、とろっと溶けるような感触を残す、冷たくそして熱い、そののど越しもウォッカの醍醐味だ。
 ポーランドの古都、クラクフのとある酒場で隣り合ったポーランド人の男性とウォッカについて話が盛り上がった。日本で言えばサラリーマンとして毎日会社に通う日々だと言う彼の楽しみは、週末に親しい友人たちと飲みに行く事。友人たちと一緒の時はウォッカを飲む、楽しい酒の席でしかウォッカは飲まないなぁと、すでにウォッカを数杯飲んでいるに違いない笑顔を見せる。「ポーランド人は一人でウォッカを飲まないよ、ロシア人は鏡を見てウォッカを飲むけれどね(鏡の中の飲み友達、つまりは酔っ払いの一人酒)」、なんて皮肉たっぷりに語ってくれる。実際は一人でウォッカを飲むポーランド人も少なくないとは思うけれど。
 ポーランドが誇る蒸溜酒にはズブロフカもある。ライ麦からつくられたウォッカで、ポーランドの東部からベラルーシにかけての森に自生する野草が加えられ、独特のほのかに甘いような柔らかい味、そして、きりっとした青い香りのする酒だ。ポーランドの森にはズブ(ジュブ)と呼ばれる野牛が生息する、ズブロフカに使われる野草はズブが好んで食べる草だ、ラベルには力強いズブの姿が描かれ、ビンの中には細く伸びた棒状のズブの好物の野草が入っている。ズブロフカも冷やしたものが断然おいしい、ほんのり草の色のついた酒が、のど越しでするりと溶ける瞬間、森の香りがふわっと漂う。広大な自然が美しいポーランドにまた足を運びたくなってしまう。
(すずきふみえ:ブダペスト在住)

月刊 酒文化2008年11月号掲載