緑の谷間に広がる都サラエヴォ

 今年の春、ボスニア・ヘルツェコビナの首都、サラエヴォを訪れた。ブダペストからは南に約630km、直通列車も出ているが、クロアチアを通過するので出入国審査がそれぞれ2回あり、国境駅で停車する時間も長く、列車自体もかなりのんびりと走るので11時間半の長旅となる。
 1992年から4年間もの間、サラエヴォは包囲され、戦火にさらされた。銃痕の残る建物などをまだ見かけるが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の終結から10年以上経った今、多くの建物は修復、再建され、再開発も進められていて、街には活気が感じられる。サラエヴォの街は谷間に流れる川を中心に広がっている。川を囲むかのように、丘が緩やかな曲線を幾重にも描いていて、オレンジ色の屋根の住宅が重なり合い、丸い屋根のモスクが点在している、緑が豊かな風景、息を飲むほど美しい。
 イスラム教徒の多く住む街だが、アルコールに関しては緩やかだ。アルコールを提供できる店には、たいていサラエヴォに醸造所を持つ国民的ビール「Sarajevsko Pivo(サラエヴォ・ビール)」の看板が出ている。果物の蒸溜酒の中ではロザと呼ばれるブドウの蒸溜酒が美味。ワインはボスニア国産から、周辺諸国のクロアチア、モンテネグロ、マケドニア産など、様々な産地、種類のワインが店頭に並んでいる。
 チェヴァピ、もしくはチェヴァプチチと呼ばれる、ひき肉を筒型に丸めて焼いた肉料理がある。旧ユーゴスラビア各国、バルカン半島全体で食べる事が出来るが、一番美味しいのはボスニアだと言われていて、サラエヴォのチェヴァプチチは街の名物になっている。旧市街の中心部には有名店が軒を連ね、人気の店は一号店、二号店と、支店も増やしている。朝から営業していて、肉汁たっぷり、焼きたてのチェヴァプチチを朝食に食べる人々の姿も見かける。チェヴァプチチには平らなパン「ソムン」とたまねぎのみじん切りが添えられる、「カイマック」と呼ばれる濃厚なクリームを乗せることも出来る。チェヴァプチチとビールはなんとも相性がよさそうなのだけれども、旧市街のほとんどチェヴァプジニッツァ(チェヴァプチチ専門のレストラン)ではアルコールを提供していなかった、そのかわりサワーミルクやドリンクヨーグルト(無糖)など酸味のある乳飲料を飲む人が多い。とある店では、ふつうのビールは無いけど、ノンアルコールのビールがメニューに載っていた。アルコールを提供できない店では、ノンアルコールビールがこんな形で役に立つ事にちょっと感心した。
 夕方の旧市街、チェヴァプジニッツァの煙突からはモクモクと白い煙が昇っている、通りまで肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきて食欲をそそられる。チェヴァプチチを食べる前に、通りかかった小さな飲み屋でまず一杯、客が少なく、場末の雰囲気が漂ってはいるが、女主人は注文したサラエヴォ・ビールとロザを笑顔で運んできてくれた。滞在中、サラエヴォの人々はとてもフレンドリーで親切だと感じていた、地図を広げて立ち止まって道を探していると、通りがかりの人から声がかかる。次の日の夕方も同じ飲み屋に立ち寄ったら、女主人は、まるで常連客を迎えるかのように、大喜びで迎えてくれた。あいかわらず客は少なかったけれど、この日はアコーディオン奏者が来ていた。演奏が始まると、バルカン半島の民謡なのだろう、女主人も客と一緒に歌い始める、その音を聞いて、ふらりとビールを飲みに来る客もいる。別の客は店の外に出て行ったと思ったら、近所の店からチェヴァプチチを買ってきたらしく、わたしにも食べろとすすめてくる。酒と音楽、そしてホスピタリティ、バルカン半島にいる事を強く感じる夜だった。
(すずきふみえ:ブダペスト在住)

月刊 酒文化2009年08月号掲載