終電を逃したら……

 ブダペストは公共交通の便の良い街だ、地下鉄は三路線、黄色い路面電車は二〇路線以上、紺色の市バス、そして赤い車体のトロリーバスの路線は、地下鉄や路面電車の通っていない地区や郊外まで伸びている。これらは大切なブダペスト市民の足なのだが、市民を悩ますのが毎年実施される運賃の値上げだ。通常一年に一回、一月一日に値上がりするのだが、大きな赤字を抱えている交通局、今年は七月一日に、今年度二回目となる値上げを実施した。一路線に一時間有効な乗車券が三〇〇フォリント、一〇年前は九〇フォリントだったのだから、ハンガリーの物価の上昇は著しい。
 交通機関の値段が上がるにつれ、ここ数年、市内を走る自転車の数がずいぶんと増えてきた。特にペスト地区は平らなので、自転車での移動は最適だ。自動車を気にせずに、安心して自転車に乗る事が出来る「自転車専用道」が、少しずつ増えてきているのも嬉しい。時間のあるときは、市民公園やドナウ川の中州に浮かぶ島などをのんびりと自転車で散策するのも気持ちいい。
 休日の夕方、市民公園に続く道の交差点、信号を待っているわたしの横に、マウンテンバイクに乗ったサイクリストが停車した。彼は自転車に取り付けられたボトルホルダーに手を伸ばす、何の気なしに、その光景を眺めていたのだけれども、彼が手にしたものを見て思わず笑いそうになった、それはサイクリストが使いそうな水分補給のためのプラスティックのボトルではなく、缶ビールだったのだ。信号待ちのわずかな時間にビールをコクリ、そしてその缶を、またボトルホルダーに戻した。自転車の飲酒運転については本当はルールがあるはずだけど、取り締まっているところはまだ見た事が無い。廃墟を利用したバーやガーデンパブなどには、入口に自転車置き場が作られているところもあり、駐輪するスペースが無いほど、ずらりと自転車が並んでいる夜もある。
 ブダペストでは終電を逃してしまっても心強い味方がある、それは市バスの夜間運転。地下鉄、路面電車、通常のバスの運行が終了すると、深夜バスが運行を始める。三〇路線以上ある深夜バス、地下鉄や路面電車の始発が走り始めるまでの間、それらの路線や、さらに郊外へと続く路線を終夜運転しているのだ。しかも特別料金の設定も無く、乗車は通常の切符で出来る。間隔は路線によって一時間に一〜四本、行き先の違うバスがいくつも停まる市中心の停留所の前は、週末の夜などは、多くの人がそれぞれの帰路につくためのバスを待っていてにぎやかだ。
 路線や時間によってはバスの中も混みあう、車内には飲酒禁止のステッカーが貼ってあるけれども、缶ビールを片手に、時には栓の開いたワインやスパークリングワインのボトルを持って乗り込んで来る人もいる。また、飲み会の盛り上がりを、そのまま車内に持ち込んで大騒ぎする若者のグループも見かける、そんな騒音の中で座席から滑り落ちそうな勢いで眠る人の姿もある。かなり長い路線を走っている深夜バスも多いので、うっかり寝過ごしてしまうと、とんでもなく遠くまで連れ去られてしまう。目が覚めて、バスがどこを走っているのか分からず周りの乗客に聞いていたり、乗り過ごした事に気がついて、急いで降りようとする人を何度か見かけた。でも大丈夫、終夜運転なので、折り返してきたバスに乗り、再度ゴトゴトと揺られて寝過ごさなければ、家に帰る事が出来るのだから。(すずきふみえ・ブダペスト在住)

月刊 酒文化2009年09月号掲載