ガチョウとワイン

 11月は新酒ワインの季節、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日は世界中で待ち望まれているのかもしれないけれど、新酒ワインはそれだけではない。ハンガリーの隣の国、オーストリアでは11月11日の聖マルティンの日に新酒が解禁となる。
 4世紀、フランス、トゥールの司教を務めた聖マルティン(マルティヌス)はキリスト教の聖人のひとりで、数々の逸話が残っている。ローマ帝国、パンノニア州の首都サヴァリア(現ハンガリーのソンバトヘイ)で生まれ、15歳で軍人となったマルティンは、駐屯していたアミアンの町の城門でひとりの乞食に出会う。真冬の寒さの中、ぼろ布をまとっただけの乞食に、マルティンは着ていた外套を剣で裂き、その半分を乞食に渡した。その夜、マルティンはイエス・キリストが、彼の外套の半分を纏っている夢を見る、そして18歳で念願の洗礼を受け、キリスト教徒となり、その2年後、軍隊を退役して修道士となる。後にマルティンはトゥール司教になるのだが、それについてもおもしろい伝説がある。
 人望の厚いマルティンは司教に推薦されるのだが、それを断りガチョウ小屋に隠れた。しかし、そこにいたガチョウ達が一斉に鳴き始めて見つかってしまい、司教の職を引き受けたという話。だから、聖マルティンの日はガチョウの日でもある。11月11日が近づくと、オーストリアではレストランのメニューに「Martinigansl」(マルティンのガチョウ)が加えられ、この時期ならではのゴチソウとなる。
 わたしの住むハンガリーでも、11月になると市場の肉屋のショーケースに「聖マールトン(ハンガリー語)の日のガチョウ」と書かれた紙が貼ってあったりする。「聖マールトンの日にガチョウを食べない人は、丸一年、空腹で過ごす」とも言われているらしいが、オーストリアに比べると、ガチョウを食べなければ! と言う雰囲気ではない。ハンガリーはガチョウの飼育が盛んな国だ、フォアグラの生産量はフランスに次いで2番目で国外への輸出量も多いし、ガチョウの羽はふかふかの羽毛布団となり、これも各国に輸出されている。そして、ガチョウの肉はハンガリーでは11月でなくても一年中食べる事が出来る、わたしのお気に入りの、昼食時にしか営業しない小さな食堂でも、ガチョウの足のローストは定番のメニューだ。
 ガチョウの他にも、鴨や七面鳥など、ハンガリーでは食用の鳥の種類が多く、胸、足、手羽から、心臓、砂肝、レバーなどの内臓、スープ用のガラ、頭、首、足まで、市場に行けば、様々な部位が簡単に手に入るし、動物性の油脂では、ラードだけでなく、ガチョウの油脂もスーパーの棚にふつうに並んでいる。レストランで注文した鴨やガチョウの足のローストには、甘酸っぱく煮込まれた赤いキャベツが添えられるのがハンガリー風、鶏肉に比べると、濃く深い味わいのガチョウや鴨には、力強いハンガリーの赤ワインが良く似合う。フォアグラはパテなどの冷製を前菜に、または、ソテーされたフォアグラをメインとして注文してもいい。そして、フォアグラにはトカイの貴腐ワイン、この贅沢な組み合わせ、口の中で両方がとろける感覚は言葉に出来ないほど美味。ハンガリーに来る機会があったら、ぜひどうぞ。(すずきふみえ:ブダペスト在住)

月刊 酒文化2009年11月号掲載