ブドウ畑を自転車で

 中欧に位置する内陸国オーストリア、東に国境を接しているハンガリーから続くパンノニア大平原から、三〇〇〇メートルを越える山が連なる東アルプス山脈まで、北海道ほどの面積の国土の中にかなりの高低差があり、それぞれが違った表情を持つ九つの州がある。
 オーストリア東側の低地はワインの産地として有名だ。まずは首都ウィーン、ハプスブルグ家統治時代の歴史ある建物が残る旧市街、膨大なコレクションを誇る美術館や博物館など、世界中からの観光客を魅了する美しい古都は実はワインの産地でもある。都市部を抜けて、車で少し走れば、周辺の風景はのんびりとしたブドウ畑に変わり、近郊のワイナリーを訪ねることも出来る。そして、ウィーンを取り巻くように広がるニーダーエスタライヒ州、南部のシュタイアーマルク州、東部、ハンガリーと国境を接するブルゲンランド州がワイン産地だ。
 ブルゲンランド州にあるノイジードラー湖は、オーストリアとハンガリーの国境にまたがる広大な湖、深いところでも二メートル弱と浅く、湖の周りには湿地帯が広がり野鳥などが観察できる。湖水浴はもちろん、ヨットやウィンドサーフィンなども楽しむ事ができるので、オーストリア人にとっては海のような存在の保養地でもある。様々な文化の交差した土地でもあり、豊かな自然、昔ながらの農村風景、そして歴史ある町並みが美しく調和した景観は、ユネスコの世界遺産にも登録されている。この地方は昔から白ワインの産地として有名で、なだらかな丘にはブドウ畑が幾重にも重なる。
 ノイジードラー湖の周りには湖を一周する自転車専用道が作られていて、春から秋にかけて、多くのサイクリストが行き交う。坂道は少なく、町や村も数キロごとにあるので初心者でも気軽にサイクリングが楽しめる。週末や夏休みには小さい子どもと一緒にサイクリングを楽しむ家族連れ、平日にはカラフルなサイクリングウェアを揃えたシニア世代のグループも多く見かける。自転車道は、葦の茂った湿地帯、そしてブドウ畑を通り抜けるように作られていて、新鮮な空気を満喫できる。
 ハンガリーから自転車を電車に持ち込んで国境を越え、湖畔の町からサイクリングをスタートした。昼過ぎ、湖周辺では比較的大きな町、ルストに立ち寄る。煙突の上にコウノトリの巣が作られているのも、この地方の風物詩、春の訪れと共に、この辺りにはコウノトリが飛来する。古い町並みの残る広場周辺、煙突の上の巣の中で、コウノトリが二匹、長い首をまっすぐ伸ばしていた。
 一軒のレストランに入って昼食をとる。「ザンダー」と呼ばれる川魚のソテー、淡水魚だけど、あっさりとしていて癖がなく、日本人にとって食べやすい魚だ。付け合せにはパセリをまぶしたポテト、その横には香りの良いハーブが練りこまれたバターが添えられている。きりりとした白ワインが、気持ちよく喉を潤す。どのレストランでもハウスワインを置いていて一〇〇ccから注文できる、この地方ならではの品種でつくられたワインを、いろいろ試す事が出来るのがうれしい。
 もうちょっと飲みたい気分をぐっと抑えて、また自転車をこぎ始める。少量のワインはガソリンの代わり、ブドウ畑を軽快に走りぬける。湖は見えないけど、湿った空気がしっとりと気持ちいい。この空気がみずみずしいブドウを育てている、そして、このブドウ畑の先にある村では、また美味しいワインが待っている。
(すずきふみえ・ブダペスト在住)

月刊 酒文化2010年03月号掲載