メーカー・オブ・ザ・イヤー

 昨年の秋、ハンガリーのワインにまつわる残念なニュースがあった。ハンガリーを代表する赤ワイン「ビカヴェール(牡牛の血)」の産地で知られる、エゲルのワインメーカー、ヴィンツェ・ベーラ氏のワインにグリセリンが混入されている事が分かり、彼のワイナリーは30日間の業務停止命令を受けたのだ。グリセリンはワインの製造工程で自然に発生する成分でもあり、ワインにボディを与える元になる。一般的に添加物として認知されていて、体は害がないそうだが、ワインにグリセリンの添加はできない。ヴィンツェ氏が市場に送り出してきたワインは、エゲルの数あるセラーの中でも上質のワインとして知られていて、2005年には、ハンガリー・ワイン・アカデミーが選ぶ「ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」の受賞もしていた。報道では、受賞した年、2005年のワインにもグリセリンを加えていたとあり、ハンガリーのワインファンをがっかりさせた。
 ヴィンツェ氏のニュースが流れて一ヶ月半ほど過ぎた12月の初め、2009年の「ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」の発表があった。主催者であるハンガリー・ワイン・アカデミーによって、すでに選出されていた5名のワインメーカーの中から、2009年のワインメーカーに選ばれたのは、ヴィンツェ氏と同じくエゲルにワイナリーを持つ、ルゥーリンツ・ジュルジィ氏だった。ワイナリーの名前はルゥーリンツ氏の夫人の名前、アンドレアからとって、セント・アンドレア(St.Andrea)と名付けられている。ハンガリーでは家族経営のワイナリーでは、ワイナリーの名前に、生産者の苗字、またはフルネームをそのまま使用している事が多いので、ユニークなネーミングだなと、数年前、初めてボトルを手にした時に感じた。
 セント・アンドレアのワインの評判はここ数年とても高く、すでに国内外でいくつもの賞を受賞している。ブダペストのワイン専門店や、ワインリストの豊富なレストランに行って、美味しいビカヴェールを聞いたとしたら、まず、最初に名前があがるワイナリーだろう。ビカヴェールだけでなく、白、赤、ロゼ、単一の畑や品種からつくられるワイン、そしてブレンドされたワインなど、かなりのバラエティーを持っているワイナリーだ。また、「Napbor(太陽ワイン)」「Örökké(永遠)」、「Boldogságos(幸福)」など、それぞれのワインにつけられた名前も凝っていて、ラベルのデザインも洗練されている。
 1991年から始まった「ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」。受賞者のリストには、もうひとりエゲル、そしてハンガリーワインを代表するワインメーカーの名前がある、それはガール・ティボル氏、1998年に「ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれている。イタリアのワイナリーで長年経験を積んだガール氏は、90年代の初め、民主化されたハンガリーに帰り、エゲルにワイナリーをオープンした。
 共産圏時代、国営化されたブドウ畑と工場による質より量のワイン生産、最新技術の導入や開発にも遅れをとり、質の低下したハンガリーワイン。民主化された90年代初頭から、外国からの投資にも支えられながら、品質にこだわりを持つワイナリーが出てきた。ハンガリーワインにとって、新しい時代の幕開けだった。ガール氏は、その90年代に、先頭に立ってハンガリーワインを国際的なレベルに引き上げた重要なワインメーカーのひとりだ。2005年、彼の突然の死はワイン業界に大きなショックと悲しみを与えた、ハンガリー国外でも活躍していたガール氏、ワイン・コンサルタントとして訪れていた南アフリカでの交通事故だった。彼のワイナリーは息子が引き継いでいる、ガール氏のワイナリーだけでなく、家族経営のワイナリーでは、少しずつ世代交代が始まっている。90年代、ハンガリーワインに品質を求めて汗を流してきた親の姿を見てきた世代が、何を受け継ぎ、何をこれからのハンガリーワインに求めていくのか楽しみだ。
(すずきふみえ:ブダペスト在住)

月刊 酒文化2010年04月号掲載