セーク村のパーリンカ

 ルーマニア中部から北西部、カルパティア山脈の西側に広がるトランシルヴァニア地方、第一次世界大戦後、トリアノン条約によって、敗戦国であるハンガリーからルーマニアへと割譲された土地だ。条約によって引かれた国境線によって、ルーマニアに組み込まれたトランシルヴァニア地方には、現在でも150万人近くのハンガリー人が住んでいる。そして、豊かな自然に恵まれた丘陵地帯に点在するハンガリー人の住む村には、伝統的な生活様式や民俗芸能が残っている。
 ブダペストの街中で、赤いプリーツスカートにスカーフをかぶった、民族衣装に身を包んだ女性を見かける事がある、その独特な衣装からトランシルヴァニア地方のセークという村から来ている事が一目で分かる。セークは昔ながらの生活風景の色濃く残るハンガリー人の村、民俗音楽や踊りなど、その土地に伝わる古い文化を継承している。花や鶏などのモチーフが刺繍された枕カバーや、手織りのテーブルクロスなど、美しい手工芸品も広く知られていて、民族衣装を着た女性たちが、ハンガリー各地で開かれる祭や、蚤の市などで露店を出してる。そして、この村でつくられるパーリンカも有名だ。
 ハンガリーの民俗音楽とダンスの雑誌に、おもしろいエッセイが載っていた。「セーキ・パーリンカの伝説」(セーキとは「セークの」と言う意味)と題して、セーク村のパーリンカについての様々なエピソードが、4ページに渡って書き綴られていたのだ。セーク村の家には、必ずプラムの木が植わっていると言う、プラムからつくられるパーリンカは、ハンガリー人にとって最上級のパーリンカだ。家を建てる時、その土地にプラムの木があったとしたら、木を切り倒さずに家を建てる場所を選ぶ、さらに何本のプラムの木を植える事が出来るかを考える、パーリンカづくりは、セークの人々にとって、重要な年中行事のひとつに数えられるのだろう。
 10月の中旬、プラムの実が熟す季節、大切な実が地面に落ちる前に、収穫を何度も繰り返す。収穫された実は、妻が洗って乾かないように柔らかな布で覆う。そして、夫がパーリンカ用に仕込んでしまう前に、妻は摘み立ての実でジャムを作る、そうでないとすべての実がパーリンカになってしまう。11月、蒸溜所に村の男たちが集まる、蒸溜器は24時間稼動するので、プラムの入ったバケツをいつ運ぶか、慎重にスケジュールを立てるのだと言う、発酵加減も考慮してパーフェクトなタイミングでなければいけない。蒸溜器が動いている間は、友人や、その道のベテランである老人を招待して味見をしてもらう。蒸溜器の周りに集まって、少しずつ、味見を繰り返し、純度やアルコール度などを見極める。そして、村人たちの手厚い管理の下、純度の高い輝くようなパーリンカが仕上がる。
 家に持ち帰られたパーリンカは、妻の仕切りで、量を測りながらボトルに詰められていく。その間、親戚や友人が、それぞれに分配されるパーリンカを受け取りに訪ねてくる。妻が出来たてのパーリンカで客もてなしている間、夫は、少しずつパーリンカを自分用にくすねる、そして裏庭や干草の中、家畜小屋、さらには井戸につるしたりと、妻の目の届かないところに、せっせと隠していく。セークの女性にとって、客をもてなす時にパーリンカは欠かせない、贈り物や冠婚葬祭用、さらに薬としての用途もあるので、妻としては、1年間に必要される量のパーリンカをしっかり確保しておかなければならない。夫はそんな妻の目を盗んで、どうにかしてパーリンカを飲もうとする、パーリンカをめぐって夫婦で攻防が繰り広げられるのだと言う。
 森に出かける時、父が息子に言う、「森の中にはボトルが隠れている、目をしっかり開けて注意深く歩くように」と。そして、茂みの中にパーリンカのボトルが隠されているのを見つける……ここまで来ると、まるでおとぎ話のようだ。
(すずきふみえ:ブダペスト在住)

月刊 酒文化2010年05月号掲載