カンナに入ったワイン

 半年ほど前に、近所にワインを売る店がオープンした。市場へと続く大通りから、一本、横道を入った、静かな住宅街の少々目立たない場所、ある日、買い物に行こうと市場に向かって自転車をこいでいたら、「BOR(ワイン)⇒50m」と書いてある看板が目に入り、ふらっと寄り道をして見つけた店だ。
 ドアを押して開くと、半地下の部分に小さな店があった。左右に備え付けられた棚の、片側は甘口のワイン、そして反対側の広い方の棚は辛口ワイン、中段から上の段には、ボトルに入ったワインが、高級な物も含めて並んでいたけど、下の段には、2〜3リットル入りのペットボトルや、5リットルのポリタンクに入ったワインが置かれていた。瓶詰めではなく、ポリタンクなどの容器に入ったワインをカンナーシュ(カンナに入った)ワインと呼ぶ、ワイン農家から運ばれてくる樽だしのワインだ。5リットルのカンナに入ったワインは購入時に、ワイン料金に加えてカンナの代金も支払うが、空になったカンナを店に返却すれば、返金してもらえるシステムになっている。
 ハンガリーがEUに加盟する前までは、カンナでワインを購入できる店がブダペストにいくつもあった。特定のワイン産地を看板に掲げている店もあったし、青空市場にミニバンを駐車して、5リットルや10リットルのカンナが納まっているトランクを開け、車ごと出店となりワインを売っていた。たいていは試飲もできて、気に入ったワインを見つけたら、好きな分量だけ量り売りが可能で、自宅からカンナを持っていったら、その場でワインを詰めてくれた。
 EUに加盟した2004年を境に、ブダペストではワインを量り売りする店が次々と閉店した。現在では、ワインを売る店にカンナ入りのワインが並ぶ事はあるけれども、ワインはあらかじめカンナに入っていて、フタの部分は、登録番号の印刷された規定のステッカーでシールドされている。酒類の販売についての法律が変わったのだろう、店にある木の樽やステンレスのタンクは、今では古き良き時代を感じさせるディスプレイになってしまったようだ。
 さて、近所に出来た店には、バラトン湖周辺に広がるワイン産地の白ワインや、南ハンガリーの赤ワイン、そしてロゼワインがカンナに入って売られていた。ブダペストではなかなか見かけない産地のワインもあり、いかにも自宅でプリントアウトしたらしい、素朴なラベルを貼っただけのペットボトルなど、ワイン農家からこの店に直接にやってきた事がうかがえる。値段も安いものだと、1リットル200円ほどからある、試飲が出来ないので、当たり外れもあるのだけれども、このくらいの値段なら気にならない。
 この季節、自宅でもフルゥッチ(ワインの炭酸水割り)を飲むので、フレッシュな樽だしワインはちょうどいい。そのまま飲むには、渋みや酸味が強すぎたりと、バランスに欠けるワインでも、フルゥッチにしたら飲みやすいし、意外にも美味しくなったりする事もある。ワインと炭酸水の両方を、冷蔵庫でしっかり冷やして作ったフルゥッチは、夏の夕方の暑気払い、喉の渇きと疲労をさわやかに癒してくれる一杯だ。店主にフルゥッチ用のワインを探していると言って、おすすめのワインを聞く。何回か通って、いろいろなワインを試しているうちに、美味しいワインも見つけた、でも店舗が小さいので、売り切れの事もしばしばある、店主が言うには来週には、まとめて届くらしい。その日の晩に飲むワインを買いに来たので、そんな時は、まだ飲んだことの無いワインを試しに購入してみる、当たりか、外れか、ちょっと賭けのようなところも、いつのまにかそれも楽しみのひとつになっている。
(すずきふみえ:ブダペスト在住)

月刊 酒文化2010年07月号掲載