ゲミシュトとベヴァンダ

 クロアチア南部、ダルマチア地方の最大都市、スプリット、首都ザグレブからは、バスか列車で約五〜六時間、鉄道はここが終着駅。駅の外に出ると目の前に海が広がり、フェリーなどの大型船が停泊している。この駅前にあるフェリーターミナルから、ブラチ、フヴァル、ヴィスなど、アドリア海に浮かぶ美しい島々へと渡ることができる。
 スプリットの街の歴史は古い、旧市街に三世紀から四世紀にかけて建てられたという、ディオクレティアヌス宮殿がある、ヨーロッパに残るローマ時代の遺跡の中でも保存状態が良く、世界遺産にも登録されている。かつて四方に城壁を張り巡らせた宮殿の内側は、そのまま生活の場となり、小さな通りや広場にはカフェやレストランが並び、住宅にもなっている。海に沿った南側の城壁の外側は、「リヴァ」と呼ばれる海岸沿いのゆったりとしたプロムナードになっていて、道沿いにあるカフェが出しているテーブルといすがずらりと並んでいる。
 旧市街の一角に魚市場がある。イワシやアジなどの安価な小魚、鯛の仲間だろう銀色に輝く魚、スカンピ(手長えび)、イカ、タコ、ムール貝などなど。規模はそれほど大きくはないが、活気のある市場だ。運がいいと、マグロを売っているのを見かけるだろう。ダルマチア地方の海では、マグロの養殖もしていて、そのほとんどは日本へと輸出されるのだという。ここはワインの産地でもある、友人たちとののんびりとした休日のランチ、白ワインと炭酸水も頼む。ハウスワインはデカンタに入って運ばれてきた、それぞれがワインをグラスに注ぎ、炭酸水で割る、クロアチアでは「ゲミシュト」と呼ばれるワインの炭酸水割り、シーフードにぴったりな軽い口当たりだ。
 海に面したスプリットの街、旧市街のある中心部からちょっと離れただけで、海水浴の楽しめるビーチがいくつもある。滞在中は旧市街の散策や観光が中心となるだろうし、ビーチリゾートを目指す人々はフェリーに乗って島へ向かうので、スプリットのビーチは地元の人が多い。夏の日課なのだろう、朝一番に海水浴を楽しむ老夫婦、夏休みの子どもたちや家族連れ、一日の仕事を終えてから、ひと泳ぎなんて人もいるだろう。ビーチには、コーヒーやビールの飲める簡単なカフェテラスもある。海から上がってひと休みする人、海に入らない人も、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいたり、友人たちとビールを飲みながらおしゃべりをしていたりと、ゆったりした時間を過ごしている。
 海水浴を楽しんだ後に、ビーチカフェの一軒に立ち寄って赤ワインを注文した。ワイングラス一杯分の小瓶に入ったワインは、フヴァル島のワイン、冷蔵庫でしっかり冷やされていた。赤ワインと一緒にウェイターが運んできたのは、氷の入ったアイスペール、赤ワインに氷なんて、と思う人が多いかもしれないけれど、ダルマチア地方では赤ワインを水で割った「ベヴァンダ」を飲む習慣がある。水で割ると一段階、ふっと軽くなる赤ワイン、気候が温暖で、特に夏の暑さが厳しいこの地方ならではの飲み方かもしれない。ワイングラスに赤ワインを注ぎ、氷を入れる、夏の夕方、日中に三〇度以上上がった気温はまだ下がらない、グラスの外側はすぐに細かい水滴で覆われる。氷の浮かぶ冷たい赤ワイン、その向こう側に広がる海、これが、近所のカフェでの風景なんて、なんとも贅沢で、この街に住む人々がうらやましくなってしまった。(すずきふみえ・ブダペスト在住)

月刊 酒文化2010年09月号掲載