ラムの国のカクテルの都へ、いざ。

 トム・クルーズが映画『カクテル』で見事なフレア・バーテンディングを披露してから、25年以上経った。当時「あんな風にカクテルをつくるのはアメリカ人だけだ」と思っていただろうフランス人だが、近年、カクテルの人気が上がり、バーマン(バーテンダー)の地位も高まった、という調査データがCGA-ニールセン社などから発表された。
 それによると年齢に関係なく好んで飲まれているカクテルはモヒート。数年来、世界的に大ヒットしているので、説明は不要だろう。ミントとライムを使ったラムベースのカクテルだ。フランスのアペリティフとして代表的かつ伝統的なワインベースのキールはトップを譲り、次に「バーマンのつくる(おすすめ?)カクテルを飲む」が続くのだそうだ。
専門誌の『スピリチュアル・マガジン』(2013年3月)でも人気カクテルトップ10の1位はモヒートで、2位はピニャ・コラーダ、3位がカイピリーニャと、ラム系のスピリッツをベースのものが上位を独占し、10位以内に5つも入った。
 カクテルのレシピが最初に書かれたのは1862年ニューヨークで発行された『バーテンダーズ・ガイド』だと言われる。世紀末にはマンハッタン、ドライ・マルティーニなど、アメリカンウイスキー、イタリアンベルモット、ロンドンジンを使った作品が流行。第一次戦争が終り「狂乱の時代」を迎えたパリの芸術家や文化人が飲んだのは、リッツホテル(現バー・ヘミングウェイ)でウォッカベースのブラッディ・マリーやブランデーベースのサイドカー。そして禁酒法時代(1919年-1933年)のアメリカでは、高価な少量のアルコールをジュースに混ぜておいしくしたり、増やしたり、カモフラージュしたことから、レシピとして定着したカクテルもあるらしい。ノンアルコール・カクテルのプッシーフットは、この時代にできたのだそうだ。
 この頃、中南米のキューバはすでに独立していたが、沢山のアメリカ人が投資をし、富豪は別荘を建てていた。「ウェット(酒に濡れる)な週末」を過ごせるハバナに通い、ラムの国の首都は「カクテルの首都」の地位を確立する。世界中のバーマンがハバナに集まり、国に帰ってキューバで覚えたカクテルを提供した。バーマンのクラブ「カンティネロス」による1930年頃のカクテル・レシピは600ほどあったと言われ、1948年に書かれた『El Arte del Cantinero(カンティネロスの芸術)』は、今もバーマンのバイブルのひとつになっている。
 当時、ハバナに滞在したヘミングウェイは「俺のダイキリはフロリディータ(Floridita)で、俺のモヒートはボデギータ・デル・メディオ(Bodeguita del medio)で……」と、カクテル毎にお気に入りのバーがあったとか。今年は1614年に慶長遣欧使節団がキューバに上陸して400年のメモリアルイヤー。ラムの国のカクテルの都ハバナに、「カンティネロスの芸術」を味わいに行くいい機会ではある。
Tomoko FREDERIX(ともこふれでりっくす・ノルマンディ在住)
2014年夏号掲載

月刊 酒文化2014年07月号掲載