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第2回 変わりゆく饗宴外交
西川恵


第3回 かかりつけの名医のみつけ方
松井宏夫


第4回 日本の赤ワインの礎「マスカット・ベーリーA」
坂田 敏


第5回 週末はいつもアウトドア
廣川健太郎


第6回 不可能の壁を超える実践優位のマーケティング
石井淳蔵


第7回 ブレンダーという仕事
輿水精一


第8回 過去の体験が濾過されて曲になる
村井秀清


第9回 グラスはつくり手と飲み手をつなぐ
庄司大輔

第10回 落語を世界へ 英語で伝える日本の話芸
立川志の春


第11回 和食は「ご飯がたべたい」料理の文化
阿古真理


第12回 若者のための酒場歩きガイド
橋本健二


第13回 画像で気持ちが伝わる ネット口コミが市場を動かす
徳力基彦


第14回 創業60周年 復活した十三トリスバー
江川栄治


第15回 カクテルバーのコミュニティ
豊川紗佳


第16回 次に目指すは日本のバー文化の底上げ
坪倉健児


第17回 カクテルアワード受賞経験を倉敷で活かす
松下知寛

第18回 地域でつくるオペラアカデミー「農楽塾」
中嶋彰子

第19回 「消費されるワインの最高峰」を目指して
椎名敬

第20回 ウイスキーと映画そしてケルト文化
武部好伸

第21回 日本の夜の公共圏スナックの将来
谷口功一

第22回 日本ワインをさらに輝かせるために
遠藤利三郎

第23回 女子が大衆酒場を元気にした
倉嶋紀和子

第24回 93歳のバーテンダーがつくるカクテル「雪国」
井山計一

第25回 日本初のウイスキーのコンテストが目指すもの
土屋 守

第26回 フランスにSAKEが受け入れられる理由
宮川圭一郎

第27回 オリーブがつなげた素敵な世界
岡井路子

第28回 少しの工夫で変わる飲食店のバリアフリー
大日方邦子

第29回 木桶職人復活プロジェクト
山本康夫

第30回 ボルドーの経験を日本ワインにフィードバック
椎名敬一


第31回 酒の楽しさのメッセンジャーを目指して
西村まどか


第32回 芸者文化の保持に欠かせない外国人
深川芸者・社会人類学者

酒論稿集
酒器論稿
週末はいつもアウトドア
  廣川健太郎氏は、アラフィフのクライマーの星である。20代でヒマラヤ・アラスカなどの海外高峰登山も経験し、国内では氷瀑登攀の第一人者として活躍を続けている。2009年3月にはマッターホルン北壁を長男と共に冬季登攀、10年には、NHKハイビジョンスペシャル「大氷壁を登る 魔の山谷川岳一の倉沢第三スラブ登攀」に出演。登山と仕事に充実した人生を送るアクティブフィフティズである。東日本大震災の後は復興支援のボランティアにも力を注いでいる。

息子とザイルを組んで登ったマッターホルン北壁(2009 年3 月)■50歳を前にマッターホルン北壁冬季登攀
―― 雪山のバリエーションルート、氷瀑、氷壁登攀ではガイドブックやDVDなども作成されていますね。厳しい登山からは引退する年齢ですが、50代になるタイミングでマッターホルンの北壁を冬季に攀ぼられたのは驚きました。
廣川 ヨーロッパアルプスの北壁は登山をはじめた頃からの念願でした。50歳のときの会社の特別休暇を使い、大学生の息子と一緒に登ることにしました。マッターホルンを選んだのは、降雪直後を避ければ雪崩の心配が少なく、氷壁登攀の比率が多いので私には比較的狙いやすいからで最初に登ろうと考えました。時間があればアイガー北壁もと考えていましたが、思わぬ滑落をして足指に凍傷を負ってしまい、はじめて足指を三本切断することになり帰国しました。

―― それは大変でしたね。それでも山をやめる気にはならなかったのですね。
廣川 ええ、好きなのでやめようとは思いませんでした。知り合いのクライマーでは足指の切断は珍しいことでもありません。リハビリをしっかりやって、翌年にNHKの撮影班と一緒に谷川岳の滝沢第三スラブという有名な氷壁を登り復活できました。

―― それまでには、大きな事故にあったことはなかったのですか。
廣川 20代の後半に谷川岳で転落して、足首の圧迫骨折をしたことがあるくらいです。でもそのときは治るまでに時間がかかり85キロまで太ってしまい、仕事も忙しかった時期なので数年間厳しい山登りからは遠のきました。その後、山岳会の後輩が大晦日の甲斐駒ケ岳で滑落して行方不明となった遭難事故の捜索を機にダイエットとトレーニングをおこない、二週間で10キロ痩せることに成功、その後も継続してトレーニングに励み、70キロを切るところまで体重を落として元のレベルに戻しました。

■登山を取り巻く社会環境にも目を向ける
―― 若いころから、よく山岳関係の雑誌に記録を発表されていましたが、登山を仕事にしようとは思わなかったですか。
廣川 文章を書いたり特定のエリアを集中して登って記録を纏めたりするのが好きなので、27歳のときに『アイスクライミング』という本を出しました。以来、本を6冊、DVDを3本つくりましたが、これからも続けていきたいと思います。山を仕事にというとプロガイドなども考えられますが、怪我をすると収入がなくなるし、自分の好きな山に行けなくなりますから子供を3人抱える身としてはちょっと難しかったですね。

―― 仕事もして山も登ってというとどんな日常生活になるのでしょうか。
廣川 サラリーマンをしていて、沖縄や名古屋など転勤も経験しました。どこで暮らしても週末は山に行くことが多く、現在も土曜日の夜を自宅で過ごすことはほとんどありません。最近は、山を登るだけでなく、公益社団法人東京都山岳連盟理事もしていて山に関わる事務局や捜索に出ることもあります。特に2013年は東京国体の山岳競技の運営を都岳連がおこないスタッフとして忙しかったです。こういう活動を通じて安全登山の啓蒙や救助捜索など全体の環境を整え、登山を活性化させることも大事だと思っています。

―― 行きたい山はもう登りつくしたと思いますが、登りたい山はまだありますか。
廣川 マッターホルンの後に登る予定だった冬のアイガー北壁ですね。それから岩登りのルートガイドをつくり直したいので、谷川岳一ノ倉、穂高の滝谷、屏風岩などへDVD用の撮影にいきたいと思います。会社勤めを終えたらもう一度ヒマラヤにも行きたい。


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