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2014年3月7日。大阪の阪急十三駅前の飲食店が密集するエリア、通称「しょんべん横丁」で大火がありました。39店が焼け出され、老舗の十三トリスバーも全焼します。同店はその後、北新地に支店を構えましたが、創業60周年を迎えたこの秋、元の場所で本店を見事に再建しました。奇しくも今年は『サントリーウイスキートリス』発売70周年のメモリアルイヤーです。昭和50年に店を継いで以来、カウンターに立ち続けてきた江川栄治さんに、トリスバーにかける想いをお聞きしました。
■この秋、営業再開 十三トリスバー本店
−− 開店おめでとうございます。2年半ぶりの再開ですね。たくさんのお店が被災されたので、難しい交渉も多かったと思います。
江川 39店舗焼けましたが、個々に状況が違うので、皆が元に戻るというわけにはいきませんでした。土地は大阪市のものですが、自分で建物を持っていたところと借りていたところとは違います。再建が1年後になるか2年後なのか、タイムスケジュールがまったく見えないので待っていられません。みな他所に店を借りて商売を再開します。建物が自分のものだったら戻って来られるんです。だけど店子でやっていたところは難しい。他所に出る時にお金かけて内装工事して、工事が終わったから戻る時にまた内装やるなんてできません。
焼けた時にはこの先どうなるかわからないけれど、元の広さでは再開できないと覚悟しました。店が小さくなったとして、それでどんな形でできるのだろう、カウンターだけで立ち飲みになってしまうかなとか、お客さんが座ったらその後ろを通ってトイレに行けるようにできるかなとか、そんなことを考えました。
店前の中筋側の道はよかったのですが、線路側の「しょんべん横丁」のほうは道幅が狭かったので1.3mセットバックしないと建築許可がでませんでした。エアコンの室外機も看板も道にはみ出したらダメです。狭くなった建物に、厨房を置き、洗面所をつくって、さらに店が狭くなります。
建物を鉄筋にしたら3階もつくれます。でもコストがすごく高くなるし、柱が太くなるので店内が10何センチか狭くなる。諦めて2階建てにしかできないけれど木造にしました。耐火材にしないとダメでまたコストがかかりました。
もう昔の街並みは戻りません。中筋は焼けなかったから残っているけれど、この一画は変わりました。情緒が無くなって残念だと言う人もいます。でも、きれいになるのは新しい時代の一歩です。いい面もある訳で、とにかく前に進むしかと思います。
−− 結局、ここでご商売されていたお店の何割くらいが戻られましたか?
江川 だいたい1/3ですね。店子さんで戻ることが決まっているのは1軒だけです。
■最大のピンチは阪神淡路大震災
−− 長年ご商売をやって来られて、今回の火災もそうですけれども、店を閉めなければならないかと思ったピンチがあったと思います。一番厳しかったのはいつでしたか。
江川 一番は神戸の地震の時ですね。阪急電車神戸線が動かなかったので人の流れがJRに回ってしまい、阪急十三駅は阪急の京都線と宝塚線の乗り降りだけの人になってしまいました。回り道して帰るようになった人も多くて、途中で降りて飲んでいかない。宝塚の方も電車は動いても建物が傷んでいる方が大勢いましたから、飲みに出る気にならない。地震の後、1年くらいはほんとうに暇でした。
その次は今度の火事ですかね。あとバブルがはじけた後もひどかったです。あの時はお客さんの話している中身ががらりと変わりました。バブルの頃は飲みに来ても仕事の話でした。営業の奴らは現場を考えないから段取りが狂って間に合うわけないやろとか、それでも文句言っているようでも前向きな話なんです。頑張って乗り切っていこうという感じがありました。それがバブル弾けた後は、残業はしてもかまわないけど残業代は出ないと言われたとか、誰が早期退職したとか、そんな話ばかりになりました。
最近はどうかというと、前向きな話をしていますよ。だから景気は悪くはないんじゃないかな、活力を感じます。
−− なるほど。そんなに極端に出るものなのですね。
江川 近頃はOB会も多くなりました。思い出話に花が咲きます。それと接骨院とか病院の話。どこそこの医者がいいとか、あそこはダメだとか(笑)。
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