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岡山県倉敷市で「ダイニング&バー ダナドゥア」を経営する松下知寛さんは、昨年開催された2016ビームサントリー ザ・カクテルアワードで、見事に優勝し「カクテル アワード2016」を受賞しました。日本バーテンダー協会倉敷支部の支部長であり、倉敷の街の飲み歩きイベント「ハレノミーノ倉敷」の実行委員長も務めています。地元の料飲店のリーダー的な存在の松下さんに、歴史的な景観を残し、国内外から大勢の観光客が訪れる倉敷のバー文化についてお聞きしました。
■7年ぶり4回目のチャレンジで優勝
−− まず、「カクテル アワード2016」の受賞のお話しからうかがいます。優勝された今回は、何度目の挑戦だったのでしょうか?
松下 4回目です。最初に応募したのは10年以上前です。2回目の時に決勝まで進みましたが、次の年はダメで、それからしばらくお休みして、今回、こんな大きな賞をいただくことができました。
−− 途中、お休みしたのはどうしてですか?
松下 7年前まではコンテストによく出ていました。その頃の店は小さなオーセンティックバーでしたが、移転して客席を増やして、食事も出す今のスタイルに変えると、人を雇わないとできません。プライベートでは結婚したばかりでしたし、店が軌道に乗るまで経営に専念しました。
−− なるほど、そういうわけでしたか。
松下 ちょうど30歳で、いろいろなことが大きく変わった節目でした。今回、久しぶりに出品したのは、昨年、日本バーテンダー協会倉敷支部の支部長を仰せつかったことがきっかけです。こんな立派なコンテストがあるのだから、自分たちの技術の底上げにもつながるので応募してみようと声をかけたのです。そうしたら自分だけが勝ち上がってしまいまして(笑)。
−− 倉敷支部には何人くらいメンバーがいらっしゃるのですか?
松下 50人くらいです。倉敷でお店をやっている方だけでなく、ここで勉強してほかの街で開業された方が、そのまま所属しているケースもあります。全国バーテンダー技能競技大会に出場する方もいて、比較的熱心な方が多いと思います。
−− 歴史と文化の積み重ねが厚いので、バー文化も裾野が広いのでしょうね。今回お邪魔するにあたって、いくつかカクテルの大会の出場者や入賞者を見てみたのですが、倉敷の方がたくさんいらっしゃり、広島や岡山など大きな街と伍して、中国地区では倉敷の存在感がすごいという印象を受けました。ところで、コンテスト出場のブランクがあったことはどんな影響があったと思いますか?
松下 コンテストには出場はしませんでしたが、店のスタッフが出場する時にはサポートしていましたし、カクテルコンテストの審査員を務めることもあって、教える経験をしたことが結果的によかったように感じます。この7年間は無駄ではなかったと思っています。
■カクテルをつくる手の震えが止まらなかった2ndステージ
−− アワード受賞作「カクタス フラワー(Cactus Flower)」の創作はスムーズだったのですか?
松下 今回はあまり苦労しませんでした。ビームサントリー ザ・カクテルアワードでは、指定されたお酒のなかからいくつかを選んで新作カクテルを考えます。前年がバーボンの『メーカーズマーク』ベースのものがアワードを受賞していたことや、現在の市場動向などを考慮して、ベースに選んだのはテキーラの『サウザ』です。テキーラは現地ではアガベと呼ばれるリュウゼツランの一種からつくられる、メキシコのテキーラ地方の蒸溜酒です。アガベは見た目が似ているのでサボテンと間違えられることも多いのですが、そこからサボテンの花、「カクタス フラワー」という名前が出てきました。花言葉を調べてみると「燃える心」です。南国のメキシコのイメージにピッタリなので、これで名前が決まりまして、あとはリキュールの『ルジェ』から何を使うかなどほかの材料を組み合わせて、味を固めていきました。
−− 昨年は過去10年間で最高となる約1700作品の応募があったそうですが、その中の最高賞を射止めるまでにどんな段階があるのかを教えてください。いちばん最初は書類審査でしたね。
松下 はい。作品のレシピと創作意図を書いて、カクテルの写真を添えて応募します。ここを通過すると2ndステージに進み、東京で審査員の方々の目の前で試作します。たしか2ndステージは30作品くらいだったと思います。そこから次のファイナルステージには進むのは12作品です。
−− 約1700の応募作品のうちファイナルに進むのは12ですか。ものすごく狭い門なのですね。2ndステージはファイナルステージと同じように、壇上に上がってカクテルをつくるのですか?
松下 いえ、普通のバーのカウンターのようなところでやりました。2ndステージはこれまでの人生で一番緊張したのではないでしょうか。目の前に審査員の方々がずらりと並んでいました。カクテルをつくっていて、こんなに震えるのかと思うくらい手が震えてしまいました。これではファイナルは無理だろうと思いましたが、なんとか決勝に進むことができました。
−− 決勝進出はいつわかるのですか?
松下 その日のうちに結果がわかります。合格者にだけ晩に電話すると言われ、私は東京から帰宅する途中で携帯電話が鳴りました。着信画面に出た東京の「03」の番号が、あんなにうれしかったのは初めてです(笑)。やった、来た!という感じでした。
−− そのあと六本木のグランドハイアットでおこなわれた最終選考会ですね。お一人で上京されたのですか?
松下 いえ、今回は妻を同行しました。こんな大きな大会で決勝に出る機会はもうないと思うからと。呼んだのは初めてです。子供を妻の実家に預けて、会場で観戦していました。
−− 優勝した時は奥様の喜びようがすごかったでしょうね。
松下 ええ、ほんとうに。とても喜んでくれました。
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